Pink

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5.

「やっぱり来てない……」
 彼女に告白した、湖のある場所で周囲の空を見まわしたが、それらしき気配は感じられなかった。
 もともとここは彼女が気に入ってるのか、以前からよく見かけた場所だったのだが……いったい鈴蘭はどこにいるのか。
 熱を帯びてきた右手を見つめて、ため息をついた。
 絶大な『力』。純粋に、それを秘めている『光』。
 もし邪心を持つ者がその力を解放したりしたら、いったいどうなることか見当もつかない。
 何故それを鈴蘭が持っていたのか、彼女が……否、魔族が邪心を持っていないのか、ということは彼の頭の中にはない。
 鈴蘭はこの『力』を悪用したりしない。そんな気がするだけ。
 それでも……
(僕の力では永く封じることはできない……)
『力』に飲まれるか、暴走させてしまうかはわからないけれど。
 右手を握りしめて、眼を閉じた。
「何かお探しか?」
 耳障りな声が、桜の思考を遮った。その声に、聞き覚えがある。
「また会えたな、水の天使さんよ」
 先ほど鈴蘭に絡んでいたところを、水の結界で封じた魔族の男だった。芥子というが、その名を桜は知らない。見た感じでは、鈴蘭とは不仲だったようだが……
 芥子の背後に、鈴蘭がいた。見たことのない長い黒髪の魔族の女   カラーが張ったであろう球形の結界の中に封じられて。
「鈴蘭さん!!」
 桜の声に、鈴蘭が眼を覚ました。現状を把握できずに、ぼんやりとしたまま周囲を見まわしている。
「どうだ、この女とあんたの右手の『聖者の魂』、交換しないか?」
『聖者の魂』とは『光』のことであろう。だが、もしこれを彼に渡したら?
 彼からは邪悪なものしか感じられないというのに……?
 交換条件を持ち出された桜よりも早く、結界に捕らわれた鈴蘭が噛みついた。
「芥子っ! あんた……!!!」
「お黙り」
 言いかけた鈴蘭を黙らせたのは、カラーの電流。結界の中で火花が散った。
「きゃああああっ!!!」
「鈴蘭さん!!」
 ようやく電流から解放されて、鈴蘭は流れそうになる涙をこらえながら訴えた。
「カラー……どうして……?」
 親友だと思っていた。大好きな、カラー。
『聖者の魂』を一介の魔族が所有するということは、魔王への反逆。そんな恐ろしいことを為そうとする芥子もだが、それに荷担するなんて、信じられない。
 カラーが、何故。
「あなたにはわからないわ」
 カラーは、それだけしか答えなかった。
「炎よ」
 芥子がパチンと指を鳴らすと、遥か足もとの湖周辺の森に火の手が上がった。
 ゴオォッと音を立てて、みるみるうちに朱の焔に包まれていく。
 慌てて水を呼ぼうとした桜に、
「俺は気が短い。交換するのかしないのか?」
 応えを迫った。
(あれは……)
 鈴蘭は見るのは初めてだったが、その炎が特殊なものであることに気がついた。
 敵を吸い寄せ、飲み込む『炎獄』という術だったか。
 封じているとはいえ、『光』の力の影響で『炎獄』から免れてはいるが、手放せばたちまち炎に飲みこまれるはずだ。
「さあ、どうする?」
 まさに、悪魔の笑み。
 もし渡さなければ、鈴蘭の身の保証はし兼ね、大地は焼かれ。
 渡してしまったら、自分は炎に飲まれ、世界の保証はし兼ねる。
 だが   
「鈴蘭さん」
 呼ばれ、無意識のうちに握り締めた拳を震わせていた鈴蘭は、ハッと顔をあげた。
 何て優しい笑顔なのだろう。
 誰もが見とれてしまうような笑顔で、桜は囁いた。
「落し物は確かにお届けしましたよ。では、ごきげんよう」

 桜の右手から、球形の『光』がふわりと離れた。

 鈴蘭さん、あなたに逢えて 本当によかった……。

 まっさかさまに、堕ちた。


「いやあああああああああああっ!!!!!」
 鈴蘭の大きな瞳から、真珠の涙がこぼれおちた。
「『聖者の魂』もらった……!?」
 桜から放たれた光の球を握り締めた芥子が、歓喜の叫びをあげ……かけて、様子がおかしいことに気づいた。
 触れれば全身に力がみなぎるはずであろう『それ』に、逆に力を根こそぎ奪われていくような、そんな感覚に襲われた。
「なに……!?」
 握り締めた手の先から光があふれ、その光に触れた個所から、芥子の身体が砂に変わっていく。
「芥子!?」
 鈴蘭を捕らえる結界を張っていたカラーが、異常に気づいた。だが、何かができようはずもない。
「身体が……崩れる……!」
 ざらざらとこぼれていく身体をどうすることもできず、芥子はただ叫び続けた。
「うああああああっ!」
「芥子……っ 芥子ィ!!」
 完全に砂と化した芥子は、ひょうと吹いた風に舞って大空に散った。
「いやあああっ!!」
 カラーの悲痛な叫びとともに、結界にひびが入った。術者の心を表すかのように。
(行かなきゃ!)
 鈴蘭は羽を広げて結界を割った。一度亀裂の入った結界ほど脆いものはない。
 芥子を消滅させたまま漂っていた『聖者の魂』を拾うと、鈴蘭はその速度を加速させて、みるみるうちに堕ちていく桜の腕をつかんだ。
 すでに覚悟を決めていた桜は、腕にかかった負荷に目を見開いた。
「鈴蘭さん……」
「さ……さっさと羽出しなさいよっ重いんだから!気が利かないわね!!」
 照れ隠しなのか本当に重いのか、鈴蘭が怒鳴りつける。
「……ありがとうございます」
 羽を出しながら、素直に桜は礼を述べる。
「バカ」
「すみません……」

 鈴蘭の髪のコサージュが、はらりと落ちて森を焼いていた炎の残り火に飲まれ、燃えた。
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