「なあ、1週間も休み取ったって?」
イヤなヤツに見つかったなあと思いつつ、金色の魔道士リーヴ・アープは足を止めて声の主を振り返った。
「……たまにはいいだろう」
「たまにはどころか、お前が休暇を取るなんて初めてのような気がするんだが」
眉間にしわを寄せて、とびっきりの不機嫌顔で答えられたのは黒髪の騎士ウュリア・シルヴィアなのだが、リーヴとは長いつきあいでそんな表情はいつものことだったので、特に気にしないでそのまま話を続けた。
「どこか行くのか?」
「いや別に……家でゆっくり本でも読みたいときもある」
ジルベール王国の周辺は、療養にでかけようという場所も景色が格別に美しい場所も特にない。隣国に歴史ある王国モルタヴィアがあったが敵国だし、半年前に終わった永きに渡る戦争の後、概ねの建物は壊された。今はモルタヴィアからの移民を住まわせるための住居がジルベール城下にて造られている。
終戦から半年。多少の混乱はあったものの、とりあえずは大きな事件もなく今日に至っている。戦中からずっと働きづめだったリーヴも、そろそろ休みをとってゆっくりしたいところだった。
「まーなあ……特に何事もないし……。けど家でゆっくりなんてできるのか? あのバアさんと四六時中一緒ってことだろう」
ウュリアの言うあのバアさんというのはリーヴの実母にして先代の金色の魔道士ジエル・アープである。高齢とは思えぬほどのパワフルさで、この国で彼女に勝てる者は皆無であろうと誰もが思っている。そもそも彼女を呼び捨てできるのがルーク国王だけというのがまた。
「母は出てるぞ。しばらくは戻らないらしい」
「なんだ旅行か?」
「なんでも薬草を取りに行くとか……定期的に家を空けていたらしいな。私はずっと王宮に住んでいたから知らなかったが」
リーヴが成人するなりさっさと隠居生活を決め込んだジエルは、魔法薬の研究や儀式魔術の研究などをしている。多分その触媒となる薬草が足りないのだろう。
今度はいったいどんな匂いのする薬草なんだか……と同居しているリーヴは頭を抱えてしまうが、実母とはいえ魔法の師匠でもあるジエルが家にいないということは、気を遣わなくてすむのでそれなりに嬉しかったりする。だがそんなリーヴを決して薄情などとは言ってはいけない。彼にはそれだけの凄まじい、涙ぐましい過去がある。
「薬草って、この辺にそんなのがありそうな場所があったか?」
「私は魔法薬の研究はそれほど手がけていなかったし、儀式魔術など専門外だからな。薬草を触る機会もなければ、生息地もまるで解らん。もしかしたら草原に生えてるような草が薬草なのかも知れぬしな……」
興味なさそうにリーヴの話に相槌を打っていたウュリアだったが、ふと何かを思い出したように、
「あれ? あのバアさんがいないってことは……」
呟いた幼馴染にすごくイヤァな予感がしたリーヴは、さっさとその場を後にしようとしたのだが、あと一歩のところでウュリアに腕を掴まれた。
「あ〜そうかー。あのバアさんがいないってことは、しばらくはサウィンとふたりきりってことかぁぁぁぁぁ」
うわこいつなんて楽しそうにニヤニヤするんだ。
サウィンもともとリーヴが拾ってきた記憶喪失の女性なのだが、終戦後はリーヴの実家で同居している。つまりまあ、そういうことで(謎)。
ウュリアの腕を振り切って言葉もなく足早に立ち去ろうとするリーヴの背に、黒髪の騎士はこう宣戦布告したのだった。
「どっちが先に子供できるか競争な」
……あまりのことに、金髪の魔道士殿は顔を真っ赤にしてその場にへなへなと崩れ落ちた。
「あ、あのバカが……ッ!!」
その様子を見てくすくすと笑っていた侍女たちの視線を振り切るように、リーヴは王宮を後にしたのだった。
「お茶をお持ちしました」
ベッドの上で横になって本を読んでいると、軽くノックをしてサウィンが花の香りを漂わせながら入ってきた。いつものお茶の香りに本を閉じて、リーヴは身体を起こす。
「何を読んでいらっしゃるのですか?」
「魔道書……というか研究書だな。祖父がつけていたものだ。見てみるか?」
お茶を口にしながらサウィンに本を差し出すと、彼女もまたベッドに腰を下ろして興味深そうに受け取った本を開いた。
しばらくぱらぱらとページをめくっていたサウィンを眺めていたが、
「……面白いか?」
訊ねてみた。他の誰も知らないことだが、彼女の故郷は魔法が当たり前に存在している。誰もがリーヴ並みの魔力を備えているというその国に住んでいたサウィンから見て、魔法が特異なものである国の者が記した研究書というのは、どう目に映るのであろう。
問われてもしばらく本を眺めていたサウィンだったが、手を止めて答えた。
「例えば……これは王宮の地下の大浴場にある魔道具の設計図ですね? 故郷では魔道はあってもこういう、魔法を使ったからくりを作ることはありませんでしたから……こういう考えは面白いですね」
「他にもいろいろあるぞ。ずっと一定の熱を発する水晶球とか、映った者の背中を映す鏡とか」
熱を発する水晶球はともかくとして、背中を映す鏡って一体。
ふたりで一緒に本を覗き込んでいたのだが、ページをめくるサウィンの手をそっとつかまえると、リーヴはその指先に静かに口づけた。
「……リーヴさま、あの……」
「ああ、気にしないで読んでいてくれ。私はもうそこは読んだしな」
……気にしないでくれと言われても、何度も何度も絶え間なく指先に甘く優しい口づけをされていたら、気にならない訳が、ない。
「……お茶の、片づけを……しないと」
「その本を読み終わってからでも構わんだろう」
いえあの、そうじゃないんですけど。
困ったように耳まで赤くしたサウィンがリーヴを見つめたが、一瞬目が合ったにも関わらず、彼はそのまま目を伏せて彼女の指先への口づけを続けた。
本を読みきってしまえば解放してもらえるのだろうか。けれどそれなりの厚みのあるその本は、まだちょうど半分くらいだ。いや、決して不愉快なわけではなくて、むしろ心地いいのだが、なんというか、その、
(……指先、だけ?)
そう言いたいのだが。それを口にすることは、サウィンにはどうしてもできなかった。手を掴まれてはいるがその力は強いものではない。強引に振り払ってしまうこともできるのだが、それはできればしたくない。
「……ゆ、夕食の準備がありますから」
時間はまだ昼過ぎだ。準備には少々早い。その不自然さに気づかないリーヴであるはずがないのだが、目を開くとそうか、と呟いてサウィンの手を解放した。
(……それだけ?)
解放してくれと言外に訴えたのはサウィン。だがあっさり解放されてしまうとすごく寂しい気が、する。リーヴの口づけを受けた指先を何度もさすりながら、サウィンは茶器を片付けようとベッドから立ち上がった。
「サウィン」
呼び止められて振り返ると、本に視線を戻してサウィンを見ることもなくリーヴが言った。
「時間があったら昼寝をするといい。今夜は眠らせないからな」
サウィンが耳まで赤くして部屋を飛び出すのを見ると、ひとしきり笑った後で本を閉じ、リーヴは再びベッドで横になった。自分にこんな一面があったなんてと思いながらも、しあわせをかみしめながら間もなく浅い眠りに落ちていった。
*
*
*
「そういえば、ウュリアが宣戦布告をしてきたぞ」
「……ウュリアさまが、ですか」
リーヴの腕の中でうとうととしていたサウィンだったが、目をこすりながら顔を上げた。リーヴとウュリアがいつもケンカというかじゃれあっているのは知っていたから、今度は何だろうかと思ったのだが。
「どっちが早く子供ができるか競争だそうだ」
競争って。
「あいつには以前からいろいろとしてやられているし、なんとか仕返しをしてやりたいところなんだが……」
「……あの、それは……もしかして……」
「勝負を挑まれて負けたくはないな」
耳までどころか全身を薄紅に染めたサウィンの耳元で、リーヴはそっと囁いたのだった。
「協力してくれるか?」
言っている台詞に対して、囁く声のなんと甘いことか。
心の奥までとろけるようなその声に、うかされたようにサウィンは頷いた。
「あなたが……望んで下さるのなら」
そっと、口づけた。
彼に見つめられる度に、その腕に抱かれる度に強く思う。
そばにいるだけでもしあわせなのに、触れ合うとそこから全身に幸福感がほとばしるのだ。触れ合う指先から、唇から、あふれそうなほどにしあわせで満たされていく。
こんな毎日がこれからも続くのかと思うと、それだけでもうむせかえりそうで。
不意に、涙がこぼれた。
「……サウィン? 何か……」
「違うんです、あの……私」
心配するリーヴを遮ってサウィンは続けた。
「しあわせで……」
言いかけたものの、何を言えばいいか解らずに言葉を失う。そんなサウィンを見つめていたリーヴだったが、彼女の頬を伝う涙を唇でぬぐってやると、
「……愛している」
濡れたままの唇を重ねた。
ようやく言いたい言葉を見つけたサウィンだったが、唇を塞がれていつもこうなんだから、と思いつつ、そのままリーヴに身を委ねた。
「愛しています」と心の中で何度も何度も繰り返しながら……。終
2002.12.23
■後書■
外伝「金色の魔道士」その後。砂吐きラヴ。