緑影騎士−聖騎士の帰還−

back menu next home

9.

 塔の内部に兵士は他にいないようだった。もともと監禁用の建物で、逃げ出せられないと最初からたかを括っているのか、他に監禁されている者がいないのか、リグルたちの閉じ込められた部屋の前に兵士がひとりいた以外には、監視者はいなかった。
 おそらくはその両方だったのだろう。先ほど気絶させた兵士から鍵を奪い手錠を外し、左手に剣を右手にランプを持って塔を調べたが、内部には誰もいなかった。刃向かう者をすぐ処刑する独裁の女王には監禁の塔は不要なのかもしれない。あとは塔の入口に兵士たちが複数いるはずだった。
 まっすぐ出口に向かえばよかったのかもしれないが、どうしても調べなければならないことがあった。
 ひとつは奪われたリグルの剣。
 そして、女王に捕らえられているはずの、ディーンとエリスの両親。
 もし生きているならばこの『封じの塔』にいる可能性が高い。
 ただ、アープ夫妻については不可解な点がある。何故捕らえられたままなのか。ウュリアを殺しベルティーナを攫って公開処刑までしようとした女王なら、真っ先に処刑していてもおかしくない。人質として生かしてあるというのなら、今日の混乱の時に切り札として反乱軍につきつけているはずなのだ。
 それらのことを考えながら、リグルは沈黙したまま塔の内部をゆっくりと進んでいた。ベルティーナはエリスの魔法でだいぶ回復したようで、エリスに支えられながらではあるがちゃんとついてきている。
 塔は五階建て。最上階には大きな部屋がひとつしかなく、四階には部屋が七つ。最上階以外はみな同じ造りなのか三階も同じ構造だった。ひとつひとつすべて扉を開けていったが、人はおらず、また探している剣も見つからなかった。
「……リグルさん」
 二階もやはり同じ構造で、いくつかの部屋の扉を開け、つきあたりの部屋を開けようとリグルが扉に手をかけたとき、不意にエリスがリグルの腕を引っ張った。
「エリス?」
 何か聞こえたのか、気配がしたのか。だがエリスは横に首を振るだけだった。
 リグルはランプをエリスに預け、静かに扉を開こうとした。

 ガチャッ。

 そこの部屋だけは鍵がかけられていた。他の部屋は囚人がいないため鍵はかけられていなかったのだが、ここだけは違った。だが息を殺して内部の気配を探ってみても、誰かがいるような気配は感じられない。ここに何かが隠されているのか   或いはリグルの剣があるのか。いくつも連なった鍵を何度か試している内に、ガチリと硬質な音を立てて鍵が開いた。
 久しく開閉されていなかったのか、軋みながら開いた扉の向こう側はやはり暗闇で、動くものがいないことを確認してからリグルはランプを受け取って室内を照らし出した。リグルの剣の鞘は銀色。少しでも光が当たれば反射してその居場所を教えてくれるはずだ。数歩部屋に足を踏み入れてランプを掲げて隅々まで照らした。
「う……?」
 部屋の一番奥に、『それ』はあった。
 最初、それはぼろ雑巾かと思った。
 だが扉を開けたことで空気が動いたためか、不意に鼻腔を刺激した匂いが、それを何だか物語っていた。
「見るな!」
 咄嗟にリグルはふたりに部屋に入らないように叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
 部屋の隅で両足を投げ出しうつむいた状態で、その男は死んでいた。死後どのくらい経っているのか、ところどころが白骨化している。空気が乾燥しているためか臭いがそれほど強くないのがせめてもの救いだった。
 おそらくは自ら胸を一突きしたのだろうが  自分で、胸を、刺す……?
 刃物を持って監禁されることなどないはずだ。リグルが剣を奪われたように。ではこの男の胸に突き刺さっているものは何であるというのか。
『刃物』を凝視していたリグルが、小さく呻いた。それは、人間の骨   
 見れば投げ出された両足の、左の膝から下がなかった。食いちぎったのかどうかまでは解らなかったが、自らの足を切断してその骨の先を尖らせて自らの胸に突き立てたのだ。何故この男はそうまでして自決しなければならなかったのだろう。
 男の凄絶な死に様を前に、リグルは魂を抜かれたかのように呆然としてしまった。そんな彼を現実に引き戻したのは、驚くべき至近距離で聞こえたエリスの呟きだった。
「父さん」
 屍の前に屈んでいるリグルのすぐ隣で、やはりエリスが屈みこんで屍を見つめていた。ベルティーナはその近くの壁にもたれるようにして立ったまま、じっとしている。
「今、なんて……」
「父さん、よ。三英雄のひとり、金色の魔道士」
 もはやぼろぼろになってしまったが、このすぐ目の前にある屍の着ている上着はエリスが縫ったものだ。見間違えるはずがない。死して後にさえもまだこの部屋に魔力が漂っているのをエリスは感じていた。
「……女王の手にかからなかったのなら、それはそれでよかったのかもしれない」
 どこか虚ろなエリスの呟きにリグルは彼女から目を逸らした。その拍子に、屍の……否、変わり果てたリーヴ・アープの上着のポケットに何かが入っているのを見つけ、そっとそれを取り出した。
「エリス、これは……」
 薄汚れた布の切れ端に、血で文字がかかれていた。それはおそらくリーヴ・アープが最期の力を振り絞って書いた我が子への手紙なのであろう。最初に読むべきはやはりエリスだろうと布を渡したのだが、読んでくれと突っ返されてリグルはおそるおそる布を開いて朗読した。

 我が子らへ
 人質として生きていつかお前たちの足枷になるよりは、死してお前たちを解き放とう
 もはやお前たちを守ってやることができない代わりに、これが最後の贈り物だ
 この粉を混ぜて剣を鍛えよ それはどんな魔物にも対抗しうる破魔の刃となって
 いつかお前たちを守るだろう
 先に逝ったサウィンを追って私も逝くことにしよう
 死して後もお前たちを愛しているよ

 エリスはリグルから渡された血にまみれた布を握り締めて、白骨化しかけた実父をためらうことなく探った。その様子はリグルでさえも一瞬怯んだほどだった。自分だったら白骨化した自分の父親の屍を躊躇することなく探ることができるだろうか。
 呆然とその光景を見守るリグルの前で、エリスは父の懐からスカーフを折って作られたであろう袋を見つけた。無言でそれを開けたエリスが見たものは、ぱさぱさとした白い粉だった。
「これは?」
 まだ解けていない謎がある。捕らえられていたリーヴ・アープは自害した。だが、同じく捕われの身となっているはずのエリスの母サウィン・アープはどうしたのか。同じ部屋に屍は他にない。「先に逝った」と明記されている以上、生存の可能性はまずないのだが、ではその屍はどこへ?
「これ……多分」
 こぼさないようにそっと袋を開け、ひとつまみしてエリスは無機質な声で呟いた。
「多分、骨よ。……人間の」
 間違いなく、母の。
 想像の域を出はしないが。
 大魔道士リーヴ・アープは使うことはなくても知識として知っている魔法がいくつもあった。そのうちのひとつなのだろう。人間の骨を魔法の粉として精製し使用する禁呪、それを死して我が子らに託した。
 母は自らをその魔法の粉にすることで。
 父は愛する妻を犠牲にすることで。
 自らの魔力のすべてを注ぎ込んだのだろう、わずかに残った魔力で足を切断してその血で手紙を書き、骨を砥いで最愛の妻の後を追ったのだ。
 何と言う。
 なんと、いう………。
 言葉を失うふたりに、壁伝いに近づいてきたベルティーナが静かに屍のすぐ近くに膝をついた。
「アープ?」
 ベルティーナにとってシルヴィアもアープも、兄のような人だった。いつも大事にかわいがってくれた。守ってくれた。愛してくれた。また、愛していた。
「大好きよ、リーヴ兄さま。サウィンさんはずっとずっとリーヴ兄さまを愛しているわ……だからきっと大丈夫……」
 視力を失った代わりに、ベルティーナはそこに生前のリーヴ・アープを見ているのかもしれなかった。何がどう大丈夫なのか、言葉の意味は把握しかねたが、彼女から暖かい優しさがあふれてくるのだけは解った。
「本当に、大好きだったのよ……」


 結局リグルの剣は見つからないまま出口の正面にたどり着いた。剣はここではなく王宮内のどこかに置かれているのだろう。
 この扉の向こう側には、少なくともふたりの兵士がいるはずだった。この手薄すぎる守備を突破すれば脱出できる。だが、その前の難関として立ちはだかるのがこの重い鉄の扉だ。この建物の用途上、内側から鍵を開けることはできない。出るには外から開けてもらうか扉を破壊するしかないのだが、前者は先と同じ方法では相手が複数いるため成功率は低いし、後者はリグルの『覇皇剣』ならばいざ知らず、兵士から奪った剣ではとても歯が立ちそうにない。さすがにどうしたものかとリグルは扉を睨んだまま立ち尽くした。エリスは懐にしまいこんだ魔法の粉が入った袋を服の上から握り締めて、祈るようにリグルを見守っている。ベルティーナはやはり表情もなくエリスに支えられながら立っていた。

 ドンッ

 外側から扉に何かをぶつけたような音がした。扉が厚くて外の様子は窺えないが、何かの異常があったらしい。ランプをエリスに預け、扉から少し離れてリグルは剣を構えた。
 がちゃりと鍵が開けられ、重い扉がゆっくりと内側に向かって開いた。
 月明かりを伴って扉の向こうから現れたのは、月明かりを束ねたような金髪の   
「ディーン!?」
「……リグル? 無事だったんだな!」
 月が夜空高くに昇るのを待って、反乱軍が助けにきてくれたのだ。扉の付近に兵士が三人、永遠の沈黙を約束して地に転がっていた。
「兄さん!」
 エリスが駆け寄ってディーンに抱きついた。やはり恐ろしかったのだろう、長い金髪を揺らしながら兄の胸でしゃくりあげた。
「兄さん……兄さん……父、父さんが……」
「エリス? 父がどうしたって……」
 それ以上言葉にできないエリスを優しく抱きしめながら、ディーンは視線でリグルに訴えた。父が……リーヴ・アープがどうしたというのか。この塔の中で何があったというのか。
「……ディーン」
 あの凄絶な死に様をどう語ればよいのか見当もつかず、リグルも視線を落とした。だが伝えねばならない。ディーンにはそれを知る権利がある。否、知らねばならない。伝えることがどんなに辛かったとしても。
 ひとつ深呼吸をして、リグルは吐き出すように、
「……落ち着いて聞いてくれ。お前の両親は……」
「アープは天に還りました。サウィンの魂とともに」
 思いもかけず、それを伝えたのは塔の入口の壁にもたれていたベルティーナだった。瞳こそ閉じられたままだったが、顎をひき背筋を伸ばし、毅然としてディーンに告げたのだった。それは   そう、王女として謁見するときの態度そのままに。
「……そう、ですか……」
「アープは最期まであなた方を案じていました。きっと身体をいといなさい」
 ディーンはベルティーナに敬礼した。どんな死に様だったのかは聞きはすまい。自分にしがみついたままのエリスをそっと離し、
「お前はもう戻れ。後は私たちに任せ……」
「いやよ!」
「エリス、聞き分けなさい」
「私も行くわ! 私だって戦える!」
 死をもって解き放とう、父はそう書き遺した。今はただ戦いたい。それこそが望み。もう守られてばかりいるのはいやなのだ、絶対に!
 腕で涙を拭い、ディーンの剣を奪って自らの髪を掴むと、ばさりと肩のあたりで切った。リグルと別れてからずっと伸ばしていた金糸の髪を夜風に泳がせて、エリスは剣先をディーンに向けた。
「……行くわ」
「エリス、今ベルティーナ様を安全な場所まで連れて行けるのはお前しかいないんだ。だから……」
「私のことなら大丈夫です」
 ベルティーナのしっかりとした声に、その場にいた誰もがハッと振り返った。その一瞬の隙にディーンがエリスから剣を奪い返す。
「母上?」
「しかし……我々はこのまま王宮を襲撃します。ここにいては……」
「あなた方が王宮に向かうのであれば、なおさらここへ新たに兵士がくることはないでしょう。もうこの付近には兵士はいないようです、私をここへ置いておいてください」
「ベルティーナ様」
「……アープをあのままにしておくことは、できません」
「しかし母上、その目で……」
 リーヴ・アープを弔うにも、盲目の身ではあの部屋にたどり着くこともできないのではないか。言いかけたリグルを抑えたのはベルティーナの絶対の威厳だった。
「……シルヴィア」
 今まで一度たりとて母に使われたことのない呼称で呼ばれたリグルは、気圧されてそれ以上の反論ができなかった。
「シルヴィア……何故国王の近衛兵が『翡翠』騎士と名付けられたか知っていますか」
 翡翠騎士が結成されたのはモルタヴィアとの戦いが終わり国を統一したときだ。まだ生まれていないリグルが知る由も無い。ただその象徴に、銀の鎧の胸のところに翡翠が埋め込まれているということくらいしか、国民の誰もが知らないのではなかろうか。
「『永遠』を象徴する緑色、それは兄王の最愛のひとの瞳の色だから」
「……?」
「行きなさい」
 一切の問いをはねつける声色でベルティーナが促した。ベルティーナを気にかけながら、ディーンを先頭に王宮を目指し駆け出した。その最後をリグルが追う。一度だけ振り返ると、目を閉じたまま見送っているベルティーナが、かすかに微笑んだような気がした。

 大好きだったのよ、リーヴ兄さま。
 ウュリアへの想いを最初に打ち明けたのも、相談したのもリーヴ兄さまだった。
 サウィンさんも大好きだった。
 優しくて、温かくて、そんなあなたたちが大好きだった。
 でも、もう誰もいない。
 ルーク兄さまも、ウュリアも、あなたたちも……私を置いて行ってしまった。
 リグルはもう立派な騎士になった。
 母の力はもう、必要ない。
 生きて、いつか今回のように足枷になるよりは、死して解き放とう。
 どうか自由に。
 何ものにも縛られることのない、風のように飛んでいきなさい。
 どうか、自由に……

《こんな魔法、使う日が来ないことを祈っているよ》
 そう言ってくれたリーヴ兄さま。
「愛してる……みんな、大好きだった」

 よろめきながら塔の中に戻り、ベルティーナは微笑んだ。

「愛してるわ……リグル」


 閃光か、爆音か。どちらが先だったのか。



 封じの塔が、爆発した。



 誰もが足を止めて振り返った。
「……はは、うえ……?」
 封じの塔が凄まじい音を立てて崩壊していた。随分と距離をあけたはずなのに、それでも強い爆風が吹き付けてくる。
「母上、まさか」
 アープをあのままにしておくことはできません。
 そういった、母の言葉が。
 行きなさい。
 そういった、母の言葉が。
「ベルティーナ様!?」
 踵を返し駆け出そうとしたディーンの腕を掴んだのはリグルだった。
「リグル!」
「母……いや、ベルティーナ様は『行け』と言ったんだ」
 あの不自然な対応の意味が、ようやく解った。戻るなと、そう命じたのだ。それを守らせるには『母子』ではなく『主従』で接するしかないとベルティーナは知っていたのだろう  シルヴィアの騎士の血を。
「……リグル」
「リグルさん」
 涙も見せずに先を促す幼馴染に、アープ兄妹がいてもたってもいられずに声をかける。心なしか血の気の失せた顔で、リグルはしかし強い声で言った。
「行こう」
 ディーンの背を押して、王宮に向き直る。
「……泣くのは、すべてが終ってからだ」

back menu next home