緑影騎士−聖騎士の帰還−

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12.

 あれからどれだけの月日が経ったのだろう。永いようであり、短いようでもあった。永遠にも思えるほどの愛しい時間は、気づけばそれらは一瞬でしかないのかもしれない。
 騎士として抜擢されてからの年月。
 自分よりも年少の者が騎士団長に就任したときの憤り、その者と剣を交えたときにその理由を思い知ったこと、互いに剣技を磨きあった日々、主君のために戦い続けた日々、そして   
 ……主君に、頭を垂れられて礼を告げられたとき。
 美しい主君の心がひとときでも休まるのであればと、いつもそれだけを願いながら騎士として勤めてきた。
 この手を国民の血で塗らしたとしても、それさえ勲章であるように思っていた。
 誇りに、思っていた。
 それらは今でも変わらない。これからも変わることはないだろう。
 けれど、と思うのだ。これは勘でしかないけれど。
 夢のように駆け抜けた日々は、良かれ悪しかれ、今日で終わりを告げるのだろうと。
 自分が死ぬのか。主君が退位するのか。あるいは。
 だがそれはどうでもいいことだ。自分は必ず主君より先に死ぬのだから。
 この国の結末を見ることは、永遠にない。
 少なくとも、美しい女王が血に濡れるさまなど、決して目の当たりにすることは、ない。
 たとえこの身が地に臥したとしても、あの銀色の騎士が命に代えても守り抜くであろう。
 だから、今は力の限り戦えばいい。
    この目の前の敵たちと。

 テラスから差し込む月明かりが照らすそこに、翡翠騎士副団長イグナ・レイはいた。腕を組み仁王立ちをしたまま、鋭い眼光でリグルたちを睨みつけている。周囲には誰もいない。冷静な騎士団長とは対照的に、烈火のような雰囲気を纏う彼とは思えぬほどに静かに、そこにあった。
 先の戦いにおいてディーンはイグナの強さを思い知っていたし、またそれを見ていたアレクも承知している。彼の戦いを見たわけではなかったが、その気配において目の前の騎士が尋常ならざる者であることをリグルもまた感じ取った。
「我は翡翠騎士副団長イグナ・レイ。これより先に進ませる訳にはいかぬ」
 着用している鎧が銀色ではなくても、その魂は変わることはない。先の翡翠騎士たちとは比べ物にならぬ剣士であろうと判断したリグルは、抜いたままの剣を構えた。
「……と、言いたいところなのだがな」
 一度目を伏せてイグナは続けた。
「黒髪は通せとの命令だ。行け」
 黒髪は通せ。それが女王の命令なのか、騎士団長の命令なのかは計りかねたが、要は戦うべき相手はこの先にいるということなのだろう。
 先の者たちと違い、罠を仕掛けているとは思えなかった。ディーンに目配せすると、緊張した面持ちで頷いた。ディーンもまた彼と戦うべきは自分であると、知っていた。決着はつけなければなるまい。
 リグルは抜いたままの剣を収め、誇り高き騎士に敬礼をして彼の横を通ろうと、歩を進めるときに、ふと腕を掴まれた。
「エリス?」
 震える手で、エリスがリグルの右腕を掴んでいた。
 自分も一緒についていきたい。けれど、それは兄と仲間を見捨てるようで。
 決心がつかないから、手が震えた。
 翡翠騎士に魔法は効かない。目の前の副団長は今は違う鎧を着用しているから通用するだろうが、ひとりこの通路を護る彼に対して、それは失礼であるような気がしたのだ。
 おそるおそるディーンを窺うと、そっと微笑んでくれた。
 思うままにするがいい、と。
 アレクは、わざと見ないようにしていた。
 だが、この通路の守護者は?
「お前がエリス・アープか」
 黒髪の騎士に隠れるようにして、小柄な少女が震えているのが見えた。魔法を操るとはいえ、少女がこんな戦いの場についてくるとは思っていなかったイグナは目を見開いたが、
「女については何も聞いていない。勝手にしろ」
 リグルとともに己の横を通り過ぎるのを認可した。
 ふたりが自分の背後で走り出すのを耳で確認してから、イグナは静かに剣を抜いた。
 自分の愛剣とは違うが、よく磨かれた刃が月明かりを受けて澄んだ光を放つ。
「ディーン・アープとお見受けする。決闘を申し込む」
「……ディーン」
「大丈夫だアレク、今度こそ……決着をつける」
 言われ、アレクは邪魔にならないように数歩下がった。
 抜いたままだった細身の剣を月光に晒し、わずかに腰を落とした。
 その場の空気が、冴え渡る。
「いざ尋常に、勝負!」


 謁見の間に通じる長い廊下の中央に、翡翠騎士団長ラスフィール・アルシオーネはいた。
 銀色の髪、銀色の鎧。月明かりの入らぬこの廊下でさえ、彼自身が月であるかのように、その薄暗い廊下に浮かび上がっているようだった。
 リグルは自分を掴んだままのエリスをそっと離し、そのまま動かぬように手で留めると、音もなく剣を抜き間合いを保ったまま身構えた。ラスフィールもまた、応えるように剣を構える。
 あらゆる問答も不要だった。互いにもはや剣でしか語れないことを知っている。
 そしてまた、それらが止められないものであることを、エリスは悟った。
 ただ祈るしか、ない。
「無事で……!」
 星が囁くような声でエリスが呟くのを合図に、ふたりの剣士は地を蹴った。互いのありったけの力を込めて、剣撃を繰り出した。
 ギィィン!
 重い金属音とともに火花が散った。すぐさま一歩引いて、間髪入れずに再び剣を打ち合わせた。互いにわずかでもかすったならばそれが致命傷になりかねない、そんな烈しい猛攻をしているのに、すべてが互いの剣によって防がれている。撃っては防がれ、撃ち返されては防ぎ、の繰り返しだった。
 十数合にも及ぶ撃ち合いの末、互いにわずかに息が乱れてきた頃、あろうことか騎士団長が退いた。
「……何?」
 一瞬何が起きたのか、リグルには理解できなかった。誇り高き翡翠騎士であるラスフィールが、戦いの最中に退くなどと。
 驚くリグルの目の前で、間合いから外れたラスフィールは剣を収めて息を整えた。
「互角か……腕を上げたな、リグル」
 ……まさか、今になって名で呼ばれるだなんて。
「何を……」
 思わず剣を下げて、呆然としてしまった。昼間、あんな凄まじい剣を撃ってきた彼からそんな言葉が出るだなんて。彼は今、翡翠騎士団長なのか、それともリグルがかつて慕ったラスなのだろうか?
「剣士の悲しい性だな。決着をつけたかったのだが、そうはいかないらしい」
 どこか遠い目をしてラスフィールは続けた。
「女王陛下の命令だ。シルヴィアを連れて来いとな。……ついてこい」
「どういうこと?」
 呆然とするリグルに代わってエリスが問うた。あれほどまでにシルヴィアを憎んでいた女王が、今になって会いたいとは。何かの罠ではないかと勘繰るのが普通だろう。
「聞いたとおりだ。まさかお前がついてくるとは思わなかったが、まあいいだろう。この期に及んで罠を仕掛けるような陛下とでも思うのか?」
 公開処刑を行い、刺客を放ちウュリア・シルヴィアを暗殺し、またベルティーナを攫い処刑しようとした女王に潔さなどあるかどうかとは思ったが、少なくとも翡翠騎士団長ラスフィール・アルシオーネならばそんな卑怯な真似はすまい。
 腹をくくって剣を収め、リグルはラスフィールの後に続いた。そのすぐ後ろにエリスも続く。
 謁見の間の扉が開かれた。
「再び(<まみえたな、シルヴィアよ」
 落ち着き払った女王の声に、ラスフィールは敬礼し、リグルは睨みつけ、そしてエリスはあっと息を飲んだ。
 主に赤を好む女王がこのとき身に纏っていたのは純白のドレス。
 それは花嫁衣裳だったのか、それとも   

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