緑影騎士−聖騎士の帰還−
14.
女王は翡翠騎士団長が謁見の間を出てからというもの、彫像のように動くこともないまま、部屋のほぼ中央に突き立てられた銀色の剣を見つめていた。
黒髪の魔法剣士シルヴィアの愛剣。その銀の刃はいったいどれほどのモルタヴィアの兵士たちの血を吸ったのだろう。魔法と剣術の両方を自在に操り、たった一騎で何十、何百と屠ってきたはずだ。
……モルタヴィア最後の王、ファリウスZ世の血も。
その曇ることのない刀身に父の姿を映し、冷たい輝きで父を照らし、鋭い刃で父の首を落としたのだ。
自らを刀身に映しながら女王は静かに目を閉じた。
最期の瞬間、父はどんな想いだったのだろう。何を考えていたのだろう。何を見ていたのだろう。
頼む、殺さないでくれ……! 余の命などくれてやる、だから娘だけは……!!
何故あんなことを言い遺したのだろう。自分も一緒に死にたかったのに。
自分が生きることが父の望みというのなら、どんな屈辱も受け入れて生きていこうと誓った。モルタヴィア旧王族の命乞いのために人質として生きていくことにも耐えようと決意した。
仇敵の独裁王の最期の願いを聞き入れ、敵国にも恩情を与えたとしてジルベールの英雄王ルークは称えられた。自分は仇敵に命乞いをし自らを売り渡して生き恥を晒していると、ジルベールからも旧モルタヴィア国民からも罵声を浴びた。父の仇のもとに嫁ぎ、王妃という名だけの地位で護られ、軟禁され続けた。
それでも、耐えた。耐え続けた。
あの、瞬間までは。
扉の開く音に、目を開いた。剣をはさんだその向こうに、銀色の騎士に導かれたシルヴィアがいる。
「また会ったな、シルヴィアよ」
謁見の間の玉座に悠然とかけた女王は落ち着き払っていた。他に伏兵もなく、翡翠騎士団長は客人に対してそうするように、リグルたちから少し距離をおいたところで直立不動のままだ。その部屋の中央に捜し求めていた覇皇剣が突き立てられているのを見つけ、リグルはその場から様子を窺った。
「どういうつもりだ」
「どう、とは」
「あんたのやっていることは筋が通っていなさすぎる。さっきははぐらかされたが」
エリスとふたり、拘束されてこの謁見の間に連行されたときもやはりリグルは問うた。何故こんな真似を、と。女王の私的な感情から考えればあのときの彼女の応答は間違ってはいないのだろうが、リグルの問いからは的が外れすぎている。
リグルが単身とはいえ(女王はエリスを反乱軍の戦力から除外している)、ここまでたどり着いたということは、すでに女王軍は倒されたということである。この期に及んで彼の問いの答えを、真実を逸らす必要はもはやあるまい。
「祖国を亡ぼしたジルベールそのものを憎むのは解る。自らが君臨して支配しようと思ったのか、亡ぼそうとしたのかはともかくとして、時期がずれ過ぎてる。いずれにせよそれは即位してすぐ実行するはずだろう。なのにルーク王崩御から独裁政治が始まるまで数年の間がある」
エリスはハッとした。ディーンや反乱軍の仲間たちが疑問に思っていたのかどうかは解らないが、確かに独裁色を濃くしたのは両親が捕らえられ公開処刑が行われるようになった半年ほど前だ。ルーク王崩御直後に旧モルタヴィア王族が暗殺され、その罪でジルベールの重臣たちが処刑されたが、民に何か直接の害をもたらした訳ではない。
「アープ夫妻を捕らえたのに幽閉したまま放置したし、今になって父を暗殺させた上に母を攫ってわざわざ公開処刑にかけた。三英雄が憎いのならアープ夫妻を捕らえた時点で処刑するのが普通だろう。そしてとうに国を出たシルヴィアに追っ手をかけて探し出して、しかもわざわざ母をその場で殺さずに連れ去った上で処刑しようとした。さらに反乱軍の中からエリスを狙って連れ去ろうとした。……これがどこでどうすれば筋が通るのか、せめて玉座に掛けていられる内に説明があってもいいんじゃないか?」
隣にいる翡翠騎士は何も言わなかった。代わりに女王が口を開く。
「……少し昔話をしてやろうか。お前が生まれる前の話だ」
ロゼーヌ・モルタヴィアはモルタヴィア最期の独裁王となるファリウスZ世の娘として生まれた。モルタヴィアでは女子に王位継承権はないため、ファリウスZ世が崩御するようなことがあったら、王族で一番彼に近い血の者が即位するはずであった。しかしロゼーヌは国王の歳を経てから授かった唯一の子供で、また非常に聡明であったから国王の寵愛を一身に受け、遂にファリウスZ世は王女を娶る者を国王にすると宣言してしまった。つまりロゼーヌの夫を王にすると。ロゼーヌは国王にはなれないが、そうすれば少なくとも国内で最も位の高い女性でいることができるからだ。
あわよくば自分が王冠を得る日がくるかもと思っていた王族は当然面白くない。この辺りからモルタヴィアは王族の間に影が差し、それが最終的にジルベールに討ち入る隙を与えてしまった。
独裁国の絶対的存在である国王が病に倒れ、ますます王族間での対立が深まっているその最中にそれは起こった。モルタヴィア国民の一斉蜂起。ジルベールと通じ合い、ジルベール軍の襲撃と同時に叛乱を起こしたのだ。
モルタヴィアがいかに軍事国家であったといっても、さすがにこれを防ぎきることはできなかった。ジルベール軍はルークの指揮の下よく戦い、また特攻隊でもあったシルヴィアの隊は城内まで攻め込み、王族のあらかたを押さえまた病床のモルタヴィア王も例外ではなかった。
国民と協力し合ってモルタヴィア軍を破ったルークは城内に入り、取り押さえられた国王に言い遺すことはないかと問うた。かの独裁王ファリウスの、それは最後の人としての感情であったのかもしれない。
殺さないでくれ、娘だけはと。
娘を嫁がせる代わりに、モルタヴィア王族の命の保証を求めた。
モルタヴィアの民も独裁政治に苦しんでいたとはいえ、ジルベールに反発もあるであろう。平和的に両国を結びつけるのに、ジルベール国王とモルタヴィア王女の結婚が最良の手段と思ったかどうか、ルークはその条件を飲んだ。
そして、黒髪の悪鬼ウュリア・シルヴィアの手によってファリウスZ世は討たれ、その首はジルベール国王ルークに捧げられた。
こうして、永きに渡る戦争は終わった。
「……私はその場で舌を噛んで死んでやろうかと思った。何故敵国の王に嫁いでまで生き恥を晒さねばならぬのだ? その必要がどこにある? 己の保身と権力と富にしか興味がなかったモルタヴィアの王族の命のために、何故私が身を売らねばならない? ……だがそれが父の最期の願いというならと、私は生きた。そして誇りを持ってジルベールに嫁ごうと決意していた」
侍女たちに手伝われて婚礼の衣装を身に着けながらロゼーヌは覚悟を決めた。モルタヴィアの王女として誇り高く、自らを賤しめることなく、すべてを受け入れようと。ジルベールの、否、ルークの妻として生きていこうと。
純白の絹の婚礼衣装を纏い、薄く紅を差し黄金の冠を戴いた少女は、その美しさに侍女たちを感嘆させた。大臣や騎士たちでさえ、かつての敵国の王女であるということさえ忘れて見惚れていた。
ロゼーヌもまだ当時は少女だった。敵国に嫁ぐとはいえ自分の晴れ姿を鏡で見て嬉しくなり、舞い上がった。仇であることも忘れて夫となるルークに自分の姿を見せたいあまり、侍女たちを振り切って王宮内をルークの姿を求めて彷徨った。
勝手の利かぬ王宮で人捜しなどできようはずもない。完全に迷ってしまって廊下をうろうろと歩いていたとき、ようやく探し人にめぐり会った。花嫁がいなくなったと聞いて、ルークもまた彼女を探していたのだ。
自分の現状も過去も忘れて嬉々として自分の姿を見せようとしたロゼーヌに対し、ルークは冷たく言い放っただけだった。
こんなところで何をしている、早く戻れ、と。
その一言が、ロゼーヌの心を永遠に閉ざしてしまった。
「若かったな私も。政略結婚と解りきっていたはずなのに、浮かれるとは。今でも忘れられない、あのときのルークの顔といったら……! 解るか? 己の花嫁の姿を見て表情のひとつも変えず、眉のひとつも動かさず、冷たい言葉をくれただけで、花嫁に背を向けたのだぞ、花婿が」
リグルもラスフィールもただ沈黙したまま聞いていたが、エリスだけが顔を曇らせた。当時の女王といえば、今の自分と同じくらいの年齢だったはずだ。結婚にわずかでも夢を抱かない訳がない。例え政略結婚だったとしても、ほんの少しくらいは普通の、穏やかな日々を夢見ていたのではないだろうか。そんな少女に対して、ルークの取った行動はあまりにも残酷だった。
「私などは政治の道具のひとつにしか過ぎなかった訳だ。……まあいい、それでも私は生きた。王宮の一番奥から一歩も出ること叶わず軟禁されたとしても、誓いの接吻以外にルークが一切私に触れなかったとしても」
リグルの表情は変わらなかったが、エリスがやりきれないようにうつむいた。ラスフィールはやはり沈黙したまま微動だにしない。
政略結婚で嫁いだ女は普通両国の友好のために、その身の安全と王妃という地位を保障される。そして後継ぎを生めばその役目を果たしたといってもいい。後継ぎを生むためだけの道具として扱われることもまた女は覚悟せねばならず、後継ぎを生むすなわち両国を血によって結びつけることでより国同士の友好を深めることが目的なのだ。
だがルーク・ジルベールはロゼーヌに触れもしなかった。それどころか王宮の奥に軟禁して、ほとんど顔を合わせることもなかった。
……後継ぎを生むだけの道具としての価値さえないと、態度で示したのだ。
それがロゼーヌを酷く惨めにさせた。父を討たれ国を亡ぼされ自由も奪われ、それでもなお嫁ぐからにはと覚悟を決めた彼女に対し、ルークは女としての尊厳さえも踏みにじったのだ。許す許さないの問題ではなく、酷く……惨めだった。
そんな悲運の王妃に更に追い討ちをかける者があった。
民に『青の姫君』と呼ばれ慕われていたルークの実の妹、ベルティーナ。彼女はロゼーヌと同い年で、また王族であった。歴史のあるモルタヴィアでは王族の結婚は非常に窮屈なものであったが、まだ歴史の浅いジルベールではそれほど束縛するものはない。その違いがあるとは解っていても、どうして自分とこんなにも差があるというのか。
ベルティーナは終戦後『翡翠騎士団』団長として就任したウュリア・シルヴィアのもとに嫁いだ。聞けば以前から想い合っていたという。王族として扱われることは彼女自らが拒んだが、とてもしあわせそうに暮らしていた。男児を生んで、誰からも愛されて、何よりも夫に愛されてしあわせに暮らしていた。
それがベルティーナとの違いがロゼーヌを打ちのめした。大臣たちの世継ぎはまだか、という皮肉よりも何よりも、一番つらかった。
これが戦に勝った国と負けた国との違いなのか。もしモルタヴィアが勝っていたなら、自分こそがあんなふうにしあわせな家庭を築いていたかもしれない、ベルティーナこそがこんなふうに生き恥を晒していたかもしれない。
そう考えるだけで頭がおかしくなりそうな日々が続いた。たったひとりで王宮に軟禁され、何を与えられても心が満たされるはずもない。唯一のなぐさめといえば騎士見習の少年がいろいろと気遣ってくれたことだろうか。
そしてある日突然、シルヴィアが消えた。家族まるごと、ジルベールから姿を消したのだ。ルークもアープも何も聞いていなかったらしく多少は取り乱したようだったが、それでも大臣や民たちの動揺に比べれば些細なものだった。
逃げ出したとか旅に出たとかいろいろと噂は尽きなかったが、時は流れやがてシルヴィア失踪のことも民の記憶から薄れていった。
「天罰は下るものだな。それか……・いや、ルークが病死する半年ほど前だ。急にルークの体調がおかしくなったのは」
ルーク・ジルベールは発病した。原因も治療法もわからない。何日も高熱が続き、一切の食べ物を受け付けなくなった。それらがおさまった一週間後、医者が見たこともないアザをルークの背中に見つけた。
「何の偶然か、それは父と同じ病だった。発病すると一週間の高熱に見舞われて、それが過ぎると今度は血の染みのような痣が全身にできる。アザが全身に転移していく間、発作に襲われる。そして全身に血の染みができるのが発病から約半年後」
ロゼーヌは周囲の反対を押し切ってルークの看病を申し出た。大臣たちはいまさら王に媚びるつもりかと顔をしかめたし、仕えてくれていた侍女たちは感染するかもしれないからと反対したのだが、同じ病を間近で見たことがあるという経験が、医者にロゼーヌの付き添いを認めさせた。どんなふうに病が進行していくか、父をじっと見ていたロゼーヌは発作がどのくらいの周期でくるのか、だいたい把握していた。口をきくのもつらいはずだったから、ロゼーヌに対してものも言わぬことに対してはさして気にもならなかった。事実ルークがどれだけか言葉を交わす相手は医者とアープ夫妻に限られていた。ロゼーヌは自分から全てを奪っていったルークが、抗うこともできず自分に全てを委ねているこの状況が愉快でならなかった。
ざまあみろ。
一言でいえば、そうなる。
背中から徐々に血の染みのようなアザを転移させながら、いつ来るやも知れぬ死神の訪れをただ待つことしかできないまま、ルークはただロゼーヌとともにあった。執務は大臣が代わりに行っており、ときどきルークに指示を求めにきたことと発作が起きる以外は、何事もない日々が過ぎていった。
それから半年の後。
これが峠か、という発作が起きた。この半年で衰弱しきったルークは些細な発作でもひどく苦しむほどで、もう打つ手はないかと誰もが天を仰いでいた。
それがおさまったのは奇跡としか言いようがなかった。
小康状態を保つルークに安堵したのか、看病疲れもあり医者がほんの少しだけ休憩のため王の寝室から出た。
仮初の夫婦以外に誰もいない寝室で、静寂のまま時は過ぎた。
ロゼーヌさえ意表を突かれた。もうしばらくはないだろうと思っていた発作が起きた。
そのさなか。
……その、瞬間。
ルークが発作に苦しみながら呼んだ。
シルヴィア、と。
「それまで私は耐えてきた。あらゆる屈辱と恥辱と苦痛とに。だがその一言が私にはどうしても許せなかった……! 今すぐそばにいて世話をしている妻よりも、とうの昔に国を去った者の名を呼んだのだ……!!」
「……だから、殺した」
シルヴィアと、そう呼んだ。もうここにはいないにも関わらず。
ルークは祖国モルタヴィアを亡ぼした。自由を奪い、尊厳を踏みにじった。それでもロゼーヌは妻としての努力を惜しまなかった。この半年というもの、欠かさずに毎日看病し続けた。その自分よりもシルヴィアを呼ぶというのか。シルヴィアのほうが大事だと言うのか。
シルヴィアもまた祖国モルタヴィアを亡ぼした。それに一番貢献した。数え切れないほどの兵士たちを殺し、そして最愛の父を討った。国を去った時にようやく少しは心が晴れたかと思ったのに、まだまだシルヴィアは私を苦しめるというのか、私から国を父を奪っただけに飽きたらず、夫さえも奪おうというのか!
信じ難いほどの怒りの波がロゼーヌを攫っていった。
激情に駆られたまま、すぐ枕もとに置いてあった濡れた布でルークの顔を押さえつけた。
英雄王ルーク・ジルベールはそのまま永遠に沈黙した。
どれだけの時をそのままでいたのか、ようやく落ち着いたロゼーヌは医者を呼びに行った。
「……ルーク・ジルベールは私が殺した」
念を押すように女王が呟いた。ルークを殺すことがその時の彼女にできるシルヴィアに対する精一杯の復讐であり、また夫をようやく自分だけのものにする手段だったのだ。もしかしたら布で押さえたりしなくても、発作でそのまま息を引き取っていたのかもしれない。しかし女王は自分が殺したと思うことで満足したかったのだ。
人としてそれは許されない。けれど極限まで耐え続けてきた彼女を誰が止めることができたのだろう。あまりにも哀しい、それは歪んだ愛だったのかもしれない。そう思うと、エリスは両の瞳から溢れる涙を止めることができなかった。
「子もなく血縁者もなかったルークの後は私が継ぐことになった。勿論それに反発する大臣たちも大勢いた。そいつらは大抵ルークの生前から地位を狙っていた者たちだったが……連中はこう言った、即位した女王が幽閉されたままの旧モルタヴィア王族を解放するのではないかと。なるほど、だが私もあんな者たちを解放するつもりは全くなかったし、解放を求められて少々うんざりしていたところだった」
ロゼーヌが即位するや否や、旧モルタヴィア王族はうるさく解放を求めてきた。彼女はそんな連中を軽蔑していたから要求に応じるつもりはなかった。だから、裏から手を回して暗殺した。そしてその罪を邪な大臣たちに着せて処刑した。
こうして彼女の周囲から目障りなものはすべて消えた。
「国そのものをどうにかするつもりは特にはなかった。憎らしいジルベールがまるごとかつての敵国の私の手中に転がり込んできたのだからな。その状況だけで酷く滑稽だった」
「それが……何故」
リグルがようやく口を開いた。さぞや女王には滑稽だったであろう、かつてジルベールが百年の時をかけて亡ぼし、討ったはずのモルタヴィアの王家直系の者がそのジルベールの統治者として君臨したのだから。こんな皮肉があるだろうか。
国をどうにかするつもりがなかったという。ならば何故急に公開処刑などを行うようになったというのか。ジルベールとシルヴィアへの憎悪と怒りが何故数年の間を置いて解き放たれたのか。
「……見るがいい」
おもむろに立ち上がり、女王は懐から取り出した短剣で自ら純白のドレスの裾を裂いた。大腿のあたりから裾まで一気に引き裂かれ、そこからやはりドレスほどに白く美しい脚が露になる。
「それは……!」
一瞬対応に迷ったリグルよりも早くエリスがそれに気づいた。
細く白い女王の脚に、いくつかの血の染みのような痣があった。
それは死神の祝福の痕。ファリウスZ世や英雄王ルークと同じ。
「発病から死に至るまで約半年……死を目前にして、それまで忘れかけていた怒りと憎悪が生々しく私の中に甦ってきた。日一日とこの身を病魔に蝕まれながら、自分を保っていく唯一の手段だったのだ」
復讐。
生きている内に、やってしまわねば。
ルークの遺したこの国を奪ってやる。
シルヴィアを殺してやる。
そしてベルティーナを八つ裂きにしてくれる……!
そのためにまずアープが邪魔だった。金色の魔道士も今は王宮付の占い師だったから、下手な予言をされては先の計画に支障をきたす。そのうえアープの妻が女王の体調に薄々感づいていたらしいので、ふたりとも封じの塔に幽閉した。アープは先の戦争で勿論活躍したのだが、シルヴィアと違い後方支援が主だったから、女王の憎悪はそれほどアープに対しては向けられていなかった。せいぜい何かのときに人質として使えれば、くらいにしか思っていなかった。それがあんな死に方をするとは女王も予想していなかったに違いない。
規律をことごとく厳しくして民を取り締まった。背くものはみな処刑した。その一方で国を出たまま行方不明のシルヴィアを探させた。それは女王に許された時間の中で、なんとか間に合うという状況でようやく発見された。まさかジルベールの民が恐れて近づかぬ聖母なる森に身を潜めていようとは、そんな近場にいようとは誰も思わなかったのだ。
かの森までジルベールから馬を飛ばせば半日、健脚の者なら丸一日かければたどり着ける。
ジルベールの中で一番の手練れを送り込んで、シルヴィアを暗殺した。本心を言えばシルヴィアも自分の目の前で殺したかったのだが、あの魔法剣士を生きたまま捕らえて連れてくるというのはあまりに困難を極めた。だからシルヴィアはその場で殺し、ベルティーナだけを攫って公開処刑にかけた。これは未遂に終わったのだが、かつてルークがかわいがっていたアープの娘、エリスを一緒に処刑してやろうと捕らえようとした。
すべてがうまくいった訳ではなかったが、目的はほぼ達成した。いくら憎んでも飽き足らないシルヴィアは死んだ。アープもまたいなくなった。このジルベールという国は、今まさに崩壊しようとしている。
そしてシルヴィアを討たせることにより、『翡翠騎士団』は真実女王のものとなった。ルークのものでもなく、シルヴィアのものでもない。ただ女王のためだけに。
「……永かった。あの悪夢の日々から、これでようやく解き放たれる。私は自由になれるのだ。お前と……シルヴィアと決着をつけることで」
女王は持っていた短剣を再び懐にしまうと、玉座に立てかけてあった細身の剣を取り、鞘を捨てて構えた。
「抜けシルヴィア。それはお前の愛剣なのだろう」
謁見の間の中央に突き立てられたままの剣。無言のままリグルは剣の前まで歩み寄り、静かにそれを引き抜いた。
「本気で行くぞ」
「望むところ」
女王は……ロゼーヌ・モルタヴィアという女性は不幸であったと思う。過酷な運命の中にひとり立ち向かい、孤独と戦ってきた。その怒り、悲しみ、苦しみ、どれをとっても尋常ならざるものであったことだろう。個人的な感情で言えば、なんとかして救ってやりたい。けれど彼女は同時に人として許されない罪をいくつも犯しているのだ。
こうすることしか……こんな道しかなかったのだろうかと、それでもリグルは覇皇剣を構える。
長い夜の終わりが近いことを告げるように、東の空が白み始めていた。