緑影騎士−竜騎士の降臨−
11.
ラスフィールは少年が塀の外を見ないように配慮しながら、彼がロープを伝って地上に降り立つのを見届けた。父親が少年を抱きしめ、周囲から歓声が上がる。士気が上がってこれから盗賊討伐に向かいそうな民衆をラスフィールの声が制した。
「夜が明けるまで絶対に門は開かないでいただきたい! 夜が明けたら盗賊を運ぶ荷車を塀の向こうに出して欲しい」
下手に戦い慣れていない一般人がやってきても、相手は普通の盗賊ではない。足手まといになるだけならまだしも、犠牲者が出る恐れがある。それにエリスが斬りつけた傷の異様な出血はあまり人に見せびらかさない方が良さそうだ。
ラスフィールは先に塀の外へ降りたリグルとエリスを追ってひらりと飛び降りた。
塀の上から目視した限りでは、盗賊はざっと二十人弱といったところか。民衆の目から解放されたエリスは魔法で盗賊達を吹き飛ばし、半数以上が地に倒れ気を失っている。まだ動ける盗賊とリグルが戦い、エリスは盗品運搬用であろう荷車から縄を持ち出して動けない盗賊を捕縛していた。
ラスフィールはリグルの加勢に行くかエリスを手伝うか思考を巡らせ、着地と同時にエリスに向かって駆け出した。
エリスは三英雄であり国の重臣でもあったリーヴ・アープの娘である。誰かを捕縛することに慣れているとは思えなかった。緩い捕縛で目覚めた後に逃げられては厄介だ。
「代われ! 後は私がやる」
エリスは自分のところにラスフィールがやってきたことに驚いて一瞬手を止めた。そしてすぐにその理由を察する。
「あなたの力を借りなくても……」
「お前は魔法が使えるのだろう。多対一の状況なら私よりお前がリグルを加勢した方が効率がいい」
かつて乱戦の中で、エリスが魔法を使って兵士達を吹き飛ばしたのをラスフィールは知っている。
言いかけた言葉をかみ殺し、エリスは「わかったわ」と立ち上がりリグルを探す。すでに動ける状態の盗賊も少なく、僅かな篝火の明かりでもすぐにリグルの居場所は分かった。収めていた破邪の剣を抜いてエリスはそちらに向かって駆け出した。
「このくそがああああああ!」
すぐ背後から怒号がした。エリスは身を竦めることもなく、盲目のエルフに習った通りに振り向きざまに剣を突き出した。
左胸を狙ったはずの剣先は少しずれて、盗賊の鳩尾あたりに深く突き刺さった。盗賊の怒号はそのまま苦痛の叫びに変わる。
「ぐお、あ、く……、ぁ、あ、あ……」
「……え、あ、何……」
鋭すぎる刃は簡単に盗賊の鳩尾から背中まで突き抜けて、それは疑いようもなく致命傷だった。苦悶の表情は当然なのだが、断末魔にしては違和感が拭えない。
ジルベールで反乱軍として戦っていた時も、エリスは魔法による後方支援が主で剣で戦ったことはない。ギズンが鍛えてくれた破邪の剣で人を傷つけたのはこれで二度目だ。刃で身体を貫かれたときの反応がどんなものか、エリスには分からない。ただ何となく、おかしいような気がする。
その異変に気付いたのは剣で戦い慣れているラスフィールだった。エリスに代わって盗賊を縛り上げると、斬られたはずの男の反応がおかしい気がしてそちらを振り返った。
呆然とするエリスの目の前で。振り向いたラスフィールの目の前で。
破邪の剣が刺さる鳩尾から上の部分が、弾けた。
ぱちんと泡が弾けるように、盗賊の上半身が弾け飛んだ。
盗賊の皮膚の中に収められていたものが四方に撒き散らされ、エリスを頭から鮮血で染め上げた。鳩尾から上を失った盗賊はバランスを崩してどさりと大地に横たわる。
「えっ」
声に出したつもりだった。実際にはエリスの唇は震えたままで、声はおろか息を吐くことすらできていない。
思考が停止したまま、エリスは手元まで汚れた剣を払い鞘に収めた。
そこから先のことは、あまり覚えていない。
これまでにこんなに苛立っているエリスを、リグルは見たことがなかった。もしかしたら離れていた十年程の間にはそんなこともあったかもしれないが、少なくとも子供の頃も、反乱軍として戦っている時も、苛立ちで周囲を威圧するようなことはなかった。
時を遡ること、半日程前。
夜明け前、リグル達が盗賊全員を捕縛し終える頃にそれぞれに武器を携えた男達が荷車を引いてやってきた。本当はもっと早くに来るはずだったが、直近の門が外側から封じられていたため遠回りを余儀なくされたらしい。
集まった顔触れは塀の周囲に集まっていた者ばかりではなく、酒屋の店主や宿屋の主人もいた。盗賊退治の件は商人達の伝達網によってすでに知れ渡っているそうだ。
「おう、お前ら! 無事だったか」
宿屋の主人が声をかけ歩み寄り──血塗れのエリスを見てぎょっとした。
「嬢ちゃん、大丈夫か」
「……返り血です、私は大丈夫なんですけど」
「返り血たぁ勇ましいな、すぐに風呂を用意しよう。アルスもご苦労さん。もう会っちまった後だが、そっちの兄ちゃんはお前に用があるらしいぜ」
アルス──ラスフィールが名乗った偽名なのだろう。
「俺は先に戻って飯と風呂の準備をして待ってるからな。まあ、ゆっくり戻ってこい」
ラスフィールの背中をばんと叩くと、宿屋の主人は盗賊を乗せている荷車の横をすり抜けてその場を後にした。
「ようし、これで全部か?」
酒場の店主が盗賊を荷物を固定させる要領で荷車に縛り付けてしまうと、男達の歓声が上がった。
「リグル、あの剣士と知り合いか?」
酒場の店主に声をかけられ、どう返答しようか迷ったものの、
「カディールから聞いてはいました。盗賊の話を聞いてこちらに引き返したと。会ってみたいとは思ってました」
過去のことは伏せて、今のことだけを伝えた。偽名を使っていたということは、素性は知られたくないはずだ。
「ふうん。まあいいがね」
それ以上詮索することはなく、酒場の店主は荷車の移動の指示を出した。盗賊を積んだ荷車が動き出すのを見て、店主は盗品を乗せた荷車の方へ向かう。
「すみません、ひとつお願いがあるんですけど」
「何だ、お前は盗賊を退治してくれた英雄だからな。できることなら何でもするぜ」
酒場の店主がにやりと笑った。
領地はそれほど広くはないが、盗賊や盗品を積んだ荷車を引いて進むのは時間がかかる。途中の門は外側から大きな石や土嚢が積まれており、何人かがそれをどける作業に残って荷車はそのまま通ってきた門を目指した。
荷車が門をくぐる頃には夜は明けきっており、明るくなった領地に戻って誰もがほっと息をついた。
「もう、早くお風呂に入りたい……」
道中ほとんど言葉を発しなかったエリスが、ため息交じりに呟いた。顔は拭いたものの、拭いきれなかった血が肌にこびりついているし、髪に至っては血が固まって一部は束になってしまっている。服もどろどろだし匂いもする。リグルに臭いと言われる前に、とにかくもう早く洗い流してさっぱりしたい。
返り血を浴びていないリグルはそうだねと笑った。捕らえて尋問することを考慮して、極力斬らないようにしていた。エリスとともに返り血を浴びたラスフィールはここまで無言である。
「後はここの人達に任せて、早く宿屋に戻ろうか」
酒場の店主や荷車を引く男達に別れを告げようとした時だった。
「諸君、盗賊退治ご苦労であった。捕らえた盗賊はこちらで引き受けよう」
現れたのは身形を整えた壮年の男だった。荷車を引く男達の微妙な反応と壮年の男が伴っている物々しい集団の空気で、リグルはそれが領主争いをしているいずれかの派閥の者であると推測する。
(盗賊退治の手柄を横取りして、領主争いを有利にしようっていう……)
リグル自身は手柄などどうでもいいが、ここまで荷車を引いてきた男達は面白くないだろう。ましてこれまで何の対策もしてこなかったのに、美味しいところだけ持って行こうというのだ。実際に盗賊に襲撃された者は怒り心頭だろう。
エリスを早く休ませたいところだし、申し訳ないがこのどさくさに紛れて失礼させていただこう。リグルがそっとエリスの手を引いてその場を離れようとするのを縫い止めたのは、壮年の男の言葉だった。
「貴君らの活躍は聞き及んでおる、是非客人として迎えたい。領主の館へ案内しよう」
それから約半日後──もうそろそろ昼食時だろうか。リグル達三人は館の客間らしき部屋へ案内され、簡単な謝辞と延々と続く次期領主としてのなんちゃら語り、そこに乗り込んできた反対勢力がどうのこうのと部外者であるリグル達には全く関係の無い口論を始めて今に至る。なお盗賊を捕らえ領地を救った英雄の名を聞こうともしなかったので、リグル達も名乗らないままである。どうでもいいから解放してほしい、というのが三人の共通意見だ。
どうしたものかとちらりとエリスを窺えば、眉間に皺を寄せ眉を吊り上げ、これまでに見たことがない程の苛立ちを露わにしていた。
(宿屋のおじさんがお風呂とご飯を用意して待ってくれてるのに、一体どれだけ待たせれば気が済むの? せっかく用意してくれてるのにもう冷めちゃっただろうし、昨夜から寝てないしお腹空いたし早くお風呂入りたいのに、もう、)
「いい加減にして!」
苛立ちのあまりに考えていたことが言葉に漏れ出た。隣でリグルがわずかに身を引いたのが見えたが、言ってしまったものは仕方が無い。エリスはぴたりと沈黙した次期領主候補達の視線を一身に受け、静かにひとつ深呼吸した。
「失礼します」
そう言ってエリスが向かったのは部屋の入口ではなく、窓だった。繊細な細工を施された枠の大きな窓は開け放たれており、館の広い庭が見える。
「そうだね。そろそろお暇しようか」
リグルがエリスの後に続いて窓辺に向かえば、ラスフィールもここにいても仕方ないとばかりにそれに倣う。
「待て、ここは二階だぞ!」
背後で誰かが叫んだが知ったことではない。エリスはリグルとラスフィールの肩にそれぞれ触れると、ひらりと窓から飛び降りた。二人もそれに続く。
慌てた次期領主候補たちが駆け寄った窓から見たものは、優雅に庭を歩いて行く三人の剣士の後ろ姿だった。