真空の聲、静謐の旋律
11.
がくぽの祖父は南の地方では有名な魔術師だった。この地方では魔物の存在が信じられており、魔除けのまじないなどは魔術師の仕事だった。他にも魔術が生活と密着しており、魔術師はとても重宝がられた。
だが他の地方の魔術を学ぼうと旅に出たとき、それが南の地方に限られたものであったと知ることになる。
他地方では魔術師は人を呪い殺したりする、害を為す存在として見られていた。そのため祖父は最終的には魔術師であることを隠して生活し、結婚した。
後に生まれた父は魔術とは縁のない生活をし、ごく普通に近所の娘と結婚した。そしてがくぽが生まれてから、事態が急変する。
祖父が魔術師であることが露見したのである。そのせいで母は幼いがくぽを置いて逃げ出してしまい、父は酒に溺れた。がくぽは偏見よりも魔術の不思議に魅せられて、祖父に魔術を教えてほしいと懇願した。それにより父との関係は悪化し、父も家を出てしまった。
祖父は自分が受けた差別を孫に受けさせたくはなかった。魔術は教えない。どうしても魔術が学びたいのであれば南の国に行き、二度と他国へ行ってはならないとだけ告げた。
反発したがくぽは祖父が隠し持ってた魔術書を盗み見ては勉強と実験を繰り返し、祖父はそれを黙認した。
やがて祖父が他界すると、がくぽは魔術書を求めて旅に出た。そして、世の中の人々が思う魔術師のイメージを変えたいと思った。
魔術とは高度な知識と技術を必要とする分野であり、行使される力そのものには善も悪もない。同じ力で人を生かすことも殺すこともできるのは火でも水でも同じことだ。
師もなく独学で魔術を学ぶのは困難を極めた。魔術書などおいそれと手に入るところにはなく、ましてそれらは他人に知られてはならない。また生活のために稼がなくてはならない。
そんな中で、小国だが歴史ある聖ボカロ王国なら魔術書が保管されているだろうかと立ち寄ったところだった。
「じゃあ、がくぽは魔術師になるの?」
改めてルカに問われて、がくぽは血の気が引くのを感じた。
魔術師は世間でいい印象はない。それなのに、何をのんびりと語っていた? 目の前の少女は貴族ではない。元は同じ貧困層出身とはいえ、だからこそ奇異な者に対する目には敏感だというのに 。
「……悪いか?」
話してしまった以上、どうしようもない。がくぽは半ば自棄気味に開き直った。
「悪い訳じゃないんだけど……」
口ごもるルカが困ったようにがくぽを見つめる。
「世間での魔術師の評判は知ってる。だから俺は変えたいんだ。魔術は絶対に人の役に立つって。人に害を為すだけじゃないんだって世の中に広めたいんだ」
がくぽの祖父が魔術師だと露見したのは、かつて祖父に救われた者がたまたま町にやってきたからだった。祖父と同郷だったその者は魔術師への偏見など知らず、祖父の魔術によって救われたことへの感謝を述べたのだった。
魔術という単語に過剰に反応して、町の人々は一瞬で掌を返した。だががくぽは感謝を述べていたときの表情を覚えている。世界中が魔術の恩恵を預かれたなら、魔術への偏見はなくなるのではないか。
がくぽの想いを聞いたルカは、小さく溜息をついてうつむいた。
「そっかあ……。じゃあ、しかたないよね……」
心なしか、ルカが縮こまったようにも見えた。
「うんとね、がくぽが歌ったらいいのになあって思ったんだけど……」
「歌? 俺が?」
「がくぽの声、すてきじゃない? だから歌ったらきっとすごくいいだろうなって思ったの。私は歌が好きだから、一緒に歌えたら楽しいだろうなって思ったんだけど……、がくぽはもう魔術師になるって決めてるんだなあって思って」
うつむいたままでルカが呟く。
この少女はどこまでがくぽの期待を裏切れば気が済むのだろう。ルカはがくぽが魔術師を目指していることではなく、一緒に歌えないことを残念がっているのだ。
「……歌くらいいつでも一緒に歌えるだろう」
「え、でも……」
「魔術師と一緒に歌うのは怖くないのか?」
「なんで? 怖いの?」
ルカが首を傾げた。
「世の中から切り捨てられるより怖いことなんてあるの?」
自分の存在を世界中から否定されることに比べたら、魔術などどれほどのものだというのか。
ルカの屈託のない笑顔の奥に、どれほどの辛苦の日々があったのだろう。市場ではさらりとルカは苦労してきたとだけ聞いた。彼女の癒しの歌声の底にある、閉ざされた日々は誰も知ろうとはしないのだ。
「なあ、お前」
「なに?」
「さみしいか?」
「……。ここは食べ物にも着る物にも困らないし、みんな優しくしてくれるけど……」
一緒に育った仲間たちに会いに行くことはできない。外出もままならない。ここでは貴族のように扱われるので、年の近い神職見習いの者もルカには敬語を使う。友達と呼べる存在はいない。
不満を言うことなど畏れ多いと困ったように笑う少女を、がくぽはそっと抱きしめた。
「また会いに来てやるよ。泣きたいときは泣けばいいだろ」
言われて初めて、ルカは気がついた。もうずっと いつからか覚えていないほどに泣きたいのを我慢していたことを。
がくぽの胸の中で何度も何度も頷きながら、歌姫は泣きじゃくった。がくぽはただ、泣き声さえも愛おしいなと思いながら、薄紅色の髪を優しくなで続けていた。
ルカの協力を得て聖ボカロ王国の地下書庫に保管されていた魔術書の写しを手に入れたがくぽは、劇的に魔術師として成長した。同時にルカの言葉をヒントを得て、吟遊詩人に扮して日銭を稼ぐようになった。歌や音を魔術に応用する研究も兼ねて、詞も曲もがくぽ自身が手がけている。
町の道具屋と提携し、魔術を用いた携帯用の着火具やランタンなどの開発・販売を始めると、瞬く間にがくぽの名は世間に知れ渡った。魔術が人の役に立つことを、魔術を使うことで人に感謝されることを彼は証明したのである。
だが残念なことに、それでも偏見の目がなくなる訳ではなかった。時折要人暗殺の依頼もある。盗賊退治や復讐のための依頼など、薄暗い依頼は尽きることはない。それががくぽを苛立たせた。
そんなときは決まって変装して人混みに紛れて教会へと通った。歌姫の清廉な歌声に、身も心も癒されたかった。
ルカが歌姫として王宮に召し上げられ、5年が過ぎた。
聖女として祀り上げられ、住居も彼女のために別棟が作られた。かつては2階に住んでいたが、保安上の問題から5階の居室になったため、以前のように縄伝いに部屋を抜け出すことはもうできない。扉の前に見張りもつくようになった。だが 。
窓がノックされた。
ベッドで枕を抱えて横になっていたルカは、枕を放り投げて飛び起きて窓を開けた。
「待たせたな」
「もう、遅いわよ」
窓から忍び込んできたがくぽの首にルカがしがみつく。がくぽは窓を閉めるとはしゃぐルカを抱きしめて腰まで伸びた薄紅色の髪を優しくなでた。
「ねえがくぽ知ってる? 神職見習いの子たちが吟遊詩人マリスに夢中なのよ」
出会いから5年 ルカは15に、がくぽは18になった。
ルカも成長したのだが、がくぽはルカを上回る成長を見せて身長差が顕著になった。並んで立つとルカはがくぽを見上げなければいけない。ルカはベッドに腰を下ろすと、隣に座るよう促してがくぽの腕を引っ張る。
「それでね、マリスの歌を口ずさむの。いいなあ、私は聞けないのに〜」
誰かが口ずさんでいたのを聞いて覚えたのだろう。ルカがうろ覚えの歌を口ずさんだ。参考にしたのが元々音が外れていたのだろう。がくぽが苦笑する。
「聖女様が下々の歌にご興味が?」
「茶化さないでよ。歌は好きだもの。いつもひとりで歌うから、そんなに素敵なら私も一緒に歌いたいわ」
拗ねるような笑顔が愛らしい。
吟遊詩人マリスとは、がくぽのもうひとつの顔だった。目立つ珍しい藤色の髪は魔術で銀色に、瞳は青くカムフラージュして、フィドルを片手に町の酒場で歌っていた。
聖ボカロ王国はいろんな国から旅人が集うため、ここで見聞したことを国に戻って吹聴したりするなどして、噂は世界中に広まっていく。歌姫ルカがそうであったように、がくぽの魔術師としての名も吟遊詩人マリスとしての名も売れていったのである。
しかし、そんな有名人となったがくぽでも、日常においてルカと触れ合うことはできない。聖女となったルカの警備はいよいよ厳重になり、町の酒場に行くことなど許されるはずもなかった。ただ教会と王宮別棟の間を行き来するだけの生活である。
かつて魔術の実験をして暴発させたがくぽも、5年の月日を経てその技術を格段に上昇させた。以前は縄伝いでルカの部屋に忍び込んでいたが、今では魔術の力で空を飛ぶことができる。部屋が5階になろうが何の障害にもならない。週に1度、夜の帳に紛れてルカの部屋を訪れるのがふたりの暗黙の了解だった。
「そもそも、それ音が外れてる」
「え? そうなの?」
「聞いてみたいか?」
「聞きたい!」
「……吟遊詩人はただで歌う訳じゃないんだよなあ」
意地悪く笑うがくぽに、ルカが怒ったような照れたような顔をして、隣に座る吟遊詩人の頬にそっと口づけた。
毎度あり、と笑ってみせて、がくぽは立ち上がってルカをまっすぐ見つめて歌い始めた。
いつだって僕だけは君を離したりはしないから
僕が君を守ってみせるから
この予感に気付いたから
<君のためにできること>
歌い終えたがくぽはルカに跪いて一礼した。うっとりと聴き惚れていたルカは、我に返ったあと弾けるような笑顔で目の前の吟遊詩人に惜しみなく拍手を贈った。
「すてき! すてき!! すごい嬉しい!」
ルカの隣にがくぽが座り直しても、喝采が収まらない。
「贅沢! 吟遊詩人マリスの歌声を独り占めとかなんて贅沢! ああっこんな至福の時を過ごしたなんてバレたらあなたの熱狂的なファンにどんな目に遭わされるか!」
物騒な事を口走りつつ、聖女とは思えないほど顔が緩みっぱなしである。
「ええ、ですからふたりだけの秘密ですよ?」
吟遊詩人が唇に人差し指を当ててウインクした。美しい吟遊詩人が揺るぎなく紡ぐ愛の歌は、こんなにも心を揺さぶってくる。こんなにもグラグラした状態で こんなにも魅惑的な顔をされて 平然としていられる女がいるのだろうか。
一瞬あまり好ましくない想像がルカの頭の中をよぎったが、見透かしたようにがくぽが囁く。
「……お前に捧げる歌だ」
呼吸が止まるかと思った。
何か言おうとしたルカの唇は、がくぽのそれで塞がれる。
「……ずるいわ」
「チップが足りなかったので」
悪戯っぽく笑い、がくぽは立ち上がった。
「明日も早いだろう。そろそろお暇する」
「ねえ、今度はいつ歌を聴かせてくれるの?」
窓に足を掛け月光を背にしたがくぽは、他の誰にも見せたことのないとびきりの笑顔で、
「それは秘密です」
唇に人差し指を立てウインクした。
幸せだった。
こんな穏やかで幸福な毎日が、いつまでも続けばいいと心から願っていた。
たとえ太陽の下でともに歩むことはできなくても、月が見守る中で笑い合えればそれでいい。
親もなく、故郷もなく、心を許せる友もなく お互いだけがすべてだった。優しさやぬくもりをくれるすべてだった。
それだけを守り抜ければ それだけで、よかったのに 。
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