真空の聲、静謐の旋律

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   奇跡のペンダント

 国王の在位20周年の記念式典を間近に控えて聖ボカロ王国は賑わっていた。元々観光・貿易・旅の拠点となるなどで賑わっているのだが、記念式典に合わせて国中がお祭り前の浮かれた気分になっている。
 土産物や装飾品など物を販売している店は大通りに屋台を出す準備をし、また飲食店は案内看板を立てて客を誘導する準備に忙しい。
 また式典は大聖堂で行われるため、式典の1週間前から準備のため閉鎖されている。そのため通常の業務は大聖堂ができる前に使用されていた教会で行われている。
 それは聖女ルカの捧歌の儀も例外ではなかった。

「え? 大聖堂って今使えないの?」
 いつもの通り大聖堂に向かおうとしたルカが、神職見習いの少女に説明されて足を止めた。
「あの、昨日から申し上げております」
「んー、そうだっけ?」
「はい、国王陛下の在位20周年の記念式典の準備で今日から1週間、大聖堂は閉鎖されます」
「もうあと1週間なんだ。早いなあ」
 式典に伴う大聖堂閉鎖の件は確かに以前聞いている。ずいぶん前に聞いた気がしたのだが、時間の流れるのは早いなあなどと思ってしまう。
「え? あれ? じゃあ私、1週間お休み?」
「違います」
 一瞬顔が緩んだ聖女に対し、神職見習いの少女はぴしゃりと否定する。
「大聖堂が使えない間は旧教会で通常業務を行いますので、ルカ様はお手数ですがそちらに移動していただきます」
「休みじゃないんだ……」
 明らかにがっかりしたルカを見て、少女は申し訳なさそうに頭を下げた。
「……お疲れなのは重々承知しております。ですが我が国のみならず、多くの者がルカ様の歌声を心待ちにしているのです。どうぞご自身の立場を……」
「うん、わかってる。言ってみただけ。困らせてごめん」
 さあ行こうか、と笑って見せるルカが眩しい。
 少女にとって聖女ルカは憧れだった。ルカは舞台の上でだけ聖女なのではない。舞台裏だろうが何だろうが、いつでも『聖女』そのものだった。自分の立場を弁え、周囲を気遣い、いつもその身を他人に捧げている。
 そんな彼女をまだまだ至らない神職見習いである自分が従者としてサポートするのは、あまりに役者が不足しているのではないかと思う。だがルカは少女の不安を先回りして、いつも感謝を述べたり安心させようとしたりするのだ。
 ルカが神職見習いの少女を自分の従者に選んだのは、そばにいて堅苦しくないからという理由だった。ならばできるだけルカに気を楽にしてもらうことが自分の勤めだと認識している。聖女の自室に食事を運んだ際、できるだけ街   教会の外でのことを話すようにしている。孤児院の様子や衣装や歌の流行など。ルカはそれを楽しみにしていた。
「あ。そうか」
 大聖堂を出ようとして、ルカは足を止めた。
「私、大聖堂から出るのってすごく久し振り」
 太陽が輝いたかのような聖女の笑顔に、神職見習いの少女は目が眩むようだった。
 大聖堂は聖女のために作られた。そのため、聖女の住居となる場所は大聖堂の中にある。以前も王宮と教会の往復だけだったが、今は大聖堂の外に出る機会さえない。聖女のために作られた大聖堂は、同時に聖女を護り   閉じこめるための牢獄でもあった。
 あ、と少女は一瞬息を止めた。
 何故聖女は大聖堂の外の話を聞きたがったのか。
 胸の奥がきりきりと痛んだ。
 考えたこともなかった。
 聖女は聖女であるために、自由をあきらめたのだ。
 それなのに、聖女はどこまでも『聖女』のままなのだ。
「なあに? どうかしたの?」
 沈黙した少女にルカが微笑みかける。
 自由を奪われたことを恨みもしないような笑顔で。
「いいえ、何でもありません。急ぎましょう、多分混雑しますから。今護衛の方を呼んできますね!」
 神職見習いの少女は、精一杯の笑顔で応えた。

 教会で歌い終えたルカは、従者である神職見習いの少女と護衛の兵士二人に付き添われ大通りを歩いていた。聖女と気づいた者たちが話しかけようと近づいてきたりしたが、それらは護衛の兵士にがっつり睨まれて足を止めた。
「あの、お仕事を増やしてしまって申し訳ありません」
 神職見習いの少女が兵士に謝罪する。本来、旧教会から大聖堂へまっすぐ戻っていれば通らない道である。それを、普段大聖堂から出られない聖女の気分転換のためとして、神職見習いの少女が兵士二人を説得して大通りへ引っ張りだしたのである。
 兵士二人ももちろん聖女の信奉者である。護衛は自分たちの仕事で、聖女を護れば良いだけだとして帰路の遠回りを許可してくれた。おかげでルカは初めてお祭り前の楽しそうな街並みの中を歩くことができたのである。
 街の飾り付けを見たり、屋台で買い食いしてみたり。ルカは決して『聖女』として凛とした態度は崩さなかったが、神職見習いの少女はルカが心底はしゃいでいることを見逃さなかった。
 聖女として祀り上げられる前は、ルカは孤児として貧困層の地区に住んでいた。こんな街の中心部の商店が並ぶような場所に来ることがなかったし、来たとしても買えるだけの手持ちがない。聖女となってからは外出もろくに出来ない有様で、こんなふうに賑やかな場所を歩くこと自体が生まれて初めてである。
 嬉しそうにはしゃぐルカの笑顔を見て、神職見習いの少女はほっと胸をなで下ろした。本来ならば許されることではない。だが幸いにも口うるさい神官は現在他国に視察中で、司教も式典の準備に追われている。今を逃したらこんなチャンスは二度とないかもしれないのだ。
「ふふ、街ってこんなに楽しいのね」
 悪戯っぽくルカが笑う。
「お祭り当日はもっと楽しいんだろうなあ……」
「私たちは主催者側です。当日は忙しいですよ」
 当日は忙しい。だがあと数日はこんなふうに外を歩くことが出来るはずだ。
 少女の言外の言葉を汲み取って、ルカは兵士たちにも微笑みかける。
「私たち、共犯者ね?」
 聖女の口から紡がれる背徳的な言葉が、仲間意識を強固なものにする。頷くことが許されない兵士は、困ったようにはにかんだ。
「我々は聖女を護ることが仕事です」
 聖女の行く先を阻むことではない。
 あえて危機回避のため最短距離で移動することを提案しなかった兵士に、ルカは感謝した。
「あら? あの人だかりは何?」
 植え込みのある広場で、十数人が集まっている。どちらかと言えば若い女が多いだろうか、時折黄色い声がする。
 様子を伺う一行の耳に、フィドルの音色が聞こえてきた。
「あ……っ、あの、ルカ様、お、お願いがあるんですけど……っ!」
 神職見習いの少女が耳まで赤くしてルカにしがみついた。
「あ、あの、あの、わ、わたしっ、あれ……っ、見てきてもいいですか……っ」
「どうしたの? 私も一緒に行ってもいい?」
「は、はいっ! もちろんです!」
 突然身体の動きがぎくしゃくしだした神職見習いの少女の様子に首を傾げながら、ルカは少女に腕を引かれながらついていく。兵士たちもルカを左右から護るように付き従う。
 ひとだかりの向こうには、よくは見えなかったが吟遊詩人がいた。羽飾りのついた濃緑色の帽子を目深く被り、そこから長い銀髪がこぼれている。腰掛けているらしく、ルカたちの場所からでは帽子くらいしか見えない。
 だが朗々たる歌声は、街の雑踏を突き抜けてルカの胸に届いていた。
 いつもの   聴きなれた歌声。
 夜の闇に守られながらでしか聞けない声。
 決して、太陽の下では聞くことが許されないと思っていた、誰より何より愛しい声   
 がくぽ!
 思わず声に出そうとしてしまって、ルカはあわてて言葉を飲み込んだ。
 がくぽが吟遊詩人マリスとして、ルカの目の前で歌っていた。人だかりで姿は見えないはずなのに、どんな表情で歌っているのかさえ手に取るように解る。
 まだルカが聞いたことがない曲だった。初めて聞くはずなのに   懐かしいような気がして涙が出そうになるのは何故だろう。
 まるで心の奥にしまい込んだものを思い出させるような   
 それは他の者も同じなのだろう。時折すすり泣く声が聞こえてくる。
 神職見習いの少女は吟遊詩人マリスの大ファンだった。感極まったのだろう、両目からぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。
 やがて歌が終わり、吟遊詩人が立ち上がって聴衆に帽子をとってお辞儀した。いつの間にか人だかりは増えており、割れるような喝采が贈られる。吟遊詩人の足下に置かれているフィドルケースに金を入れるために、前列の聴衆が屈んだとき   、吟遊詩人は帽子を被ろうとして、ふと顔を上げた先にルカを見つけてその手を止めた。マリスの笑顔が驚愕に彩られる。
 まっすぐに、ルカとマリスの視線が絡み合った。
 マリスの様子に何事かと聴衆が視線の先を追うよりも早く、吟遊詩人は帽子を胸に歌うように跪いた。
「おお、もしや聖女様では……!? このような卑しい歌でお耳汚しをいたしまして誠に申し訳ございません」
 聴衆の視線が一斉に聖女に注がれる。神職見習いの少女が慌てたが、聖女は落ち着き払って微笑んだ。
「歌に卑しいも尊いもありません。すばらしい歌を聴かせていただき、胸が躍るようでした。もしよろしければ一曲お願いしたいのですが……」
「私の歌などでよろしければ、一曲と言わずお望みのままに」
 大聖堂で歌う穢れなき聖なる歌姫と、現在王国一の人気者と言われる吟遊詩人とのやりとりに、聴衆がどよめいた。ざわつく聴衆をよそに、聖女はパニック寸前の神職見習いの少女の肩に優しく触れて耳打ちする。
「ほら、あのいつもあなたが歌ってる曲をお願いしてきて」
 驚く少女に、聖女がウインクしてみせた。
 そうだ。聖女は知っているのだ。街の様子を話すときに、マリスの話を何度もした。歌も歌ったことがある。
 神職見習いの少女は、緊張のあまりぎこちない歩き方をして、吟遊詩人の足下のケースに金貨を差し出した。それをマリスが少女の手を取って直接受け取る。聴衆が口笛で囃すが少女の耳には届かない。吟遊詩人マリス本人を前にして、それどころではなかった。
「あ、あの……」
 聖女の前で恥ずかしげ気もなく口ずさんでいた曲。少女が一番好きな曲名を告げると、マリスは微笑んで帽子を目深く被った。それだけで腰が砕けてしまった少女は、その場に座り込んだ。つまり、聴衆の最前列である。
 もうすでに泣き出している少女の前で、マリスはフィドルを弾き始めた。


   いつだって僕だけは君を離したりはしないから
   僕が君を守ってみせるから
   この予感に気付いたから
  <君のためにできること>

 神職見習いの少女は吟遊詩人マリスの大ファンだった。その中でも一番のお気に入りの曲だった。人目のないところでいつも口ずさんでいた。聖女に街のことを話すときにもよく歌っていた。
 この曲は聖女にとって一番聞きなれたマリスの曲でもある。一度がくぽからきちんと正しい音階で聴いているため、歌詞も音程も把握している。
 ルカはフィドルを奏でながら歌うがくぽに声を重ねた。
 聴衆が一瞬どよめき、すぐに息を飲んだ。
 ふたりの声以外の、すべての音が消えたかのように   重なり合い、ときに離れ、また求め合うように絡み合う歌声だけが響き渡る。賑やかだったはずの街並みは、熱を帯びる歌声をひとつも聴き漏らさぬよう、息を潜めているかの如くに静まり返っていた。
 フィドルが最後の音色を奏でた。
 ふたりの歌い手が熱い吐息を漏らして微笑み合った。聴衆からの割れるような拍手の中で、マリスが帽子を取ってお辞儀をする。
「聖女様に歌っていただけるなど身に余る栄誉です。この喜びをなんと申し上げればよいか……ああ、あなたの歌声は私に詩人であることさえ忘れさせます」
 大げさに喜びを表現し跪いて深々と頭を垂れたマリスに、聖女は微笑んでお辞儀を返す。
「いいえ、こちらこそすばらしい歌をありがとうございます。いつも一人で歌っているから……誰かと歌うことがこんなにすてきだなんて思ってもみませんでした」
「もったいないお言葉です。……ああ、そうだ。私としたことが」
 芝居がかった身振りをしながらマリスは帽子を被り、座り込んだまま感動に震えている神職見習いの少女の手を取って立ち上がらせた。よろめく少女を聖女の元までエスコートすると、すぐ近くにいた移動屋台の店主に声をかける。
 移動屋台はアクセサリーを扱う店だった。普段は店舗で販売しているのだが、祭りの際に人通りが多くなる大通りに臨時店舗として移動屋台を出している。
 マリスは店主に金の入った小袋を渡すと、やや大振りの金細工に青い宝石をあしらったペンダントを手に取った。マリスを止めようとした店主が小袋の中身を確認して小さく悲鳴を上げる。
 慌てる店主を余所に、マリスは聖女の前に改めて跪いた。
「どうぞお受け取り下さい」
 たった今購入したペンダントを聖女に差し出す。
「いいえ、私は何も……」
 慌てる聖女にちらりと二人の兵士が顔を見合わせたが、その場を動くことなく聖女を見守っている。
「私などの歌を歌っていただいて何のお礼もしないなど、とても私のプライドが許しません。聖女様の歌声に対してこの程度のことしかできない私の無様をどうぞお笑い下さいませ」
 両手で差し出されたペンダントを、聖女は受け取ろうとはしない。跪く吟遊詩人を前に微動だにしない聖女に、野次馬と化した聴衆が息をのむ。
 引き下がらせようとした兵士を制し、聖女は穏やかに微笑んだ。
「……そのペンダントを着けて下さる?」
 驚いて顔を上げた吟遊詩人に、聖女はいたずらっぽく微笑んだ。立ち上がる吟遊詩人に背中を向けて、腰まで届く薄紅色の髪を右手でひとつにまとめる。
 多くの野次馬が見守る中で、吟遊詩人マリスは聖女の首にペンダントを飾らせた。太陽の下で見る聖女の白いうなじが眩しい。眩暈がしそうになるのをこらえて、マリスは指を聖女のうなじから離す。
 髪を離し振り返った聖女の胸元にペンダントが揺れた。青い宝石が太陽の光を浴びてきらりと輝く。
「どう? 似合うかしら?」
 少女のように微笑む聖女に、誰もが見とれた。男も女もない。白い肌に頬がほんのりと赤みを差し、宝石と同じ色の瞳がきらきらと輝いている。歌の女神がいるとしたらこんな姿をしているに違いないと誰もが思った。
 誰もがその微笑みに心を奪われたように、吟遊詩人マリスも例外ではなかった。思わず抱きしめたくなる衝動を必死で抑え、
「あなたの前では……宝石すらも霞んで見えます。太陽よりも美しく……、ああ、抗えない私をどうぞお許し下さい」
 跪いて聖女の手を取り、口づけた。
 聖女の顔が、かあっと紅くなった。
 美しい聖女と、美貌の吟遊詩人。どの角度から切り取っても一枚の絵画になるその姿は、嫉妬を越えて心を震わせた。野次馬たちが一斉に囃し立て、惜しみない拍手を贈る。護衛のはずの兵士も、マリスの大ファンである少女も見とれた。
 世界中がふたりを祝福しているかのようだった。
 名残惜しそうに手を離すと、マリスは立ち上がって聖女を見つめた。
 いつだってルカは美しかった。抱きしめたいほどに愛おしかった。なのに   太陽の下で見る彼女は、このまま奪い去りたいほどに愛おしくて仕方ない。
 もう二度と太陽の祝福の元では会えないかもしれない   。マリスは聖女の姿をその目に焼き付けるように見つめ、だがほんの数瞬で断ち切るように目を閉じてお辞儀をした。
 聖女は軽く会釈をして、吟遊詩人の唇のぬくもりが残る手を抱きしめながら踵を返した。兵士と神職見習いの少女が後に続く。
 その後ろ姿を、吟遊詩人はいつまでも見守っていた。

 大聖堂に戻ると、そこには青い髪の神官が腕組みをして聖女一行を待ちかまえていた。護衛の兵士は敬礼し、神職見習いの少女はびくりと肩を震わせた。ルカは無言で立ち止まる。
「ルカ様、ご自身の立場をくれぐれも弁えていただいたいと何度も申し上げたはずでございます」
 ほうら始まった、とばかりにルカは微かに眉間に皺を寄せて無言を貫く。立ち止まったままの聖女に歩み寄り、神官のお小言は果てしなく続きそうだった。
「あのような場に護衛二人だけで出歩くなど、何か起きましたらどうなされるおつもりですか!?」
「……それは我らでは聖女を護るのに不足だと申されるか」
 兵士がすかさず横槍を入れる。
「そうではない! お主等の働きは充分承知している! だが万が一を考えて大通りを避けるべきだったと言っているのだ!」
「申し訳ございません! 私がルカ様をお連れいたしました! 護衛の方は悪くありません、すべて私が……」
「……私がわがままを言いました」
 聖女を責めようとする神官を阻もうとする兵士と神職見習いの少女のやりとりを黙って見守っていたルカが、静かにうなだれて呟いた。その場が沈黙に包まれる。
「私を召し抱えて下さった陛下の在位20周年の記念式典です。街がどのように盛り上がっているのかをこの目で見てみたいと無理を言ったのです。陛下は偉大な方ですね。国民みんなが祭りを楽しみにしているのがよく解りました。ですが……、そうですね。神官のおっしゃる通りです。身の程も弁えず、三人に無理を言いました。申し訳ありません」
 声さえ震わせながら、聖女は目を伏せて神官の前に跪いた。それを見た神官が慌てて聖女を立ち上がらせる。
「おやめ下さい、聖女が簡単に他人に跪いてはなりません!」
 立ち上がった聖女がうつむいて肩を落としているのを見て、神官はばつが悪そうに続けた。
「……ルカ様、あなたは尊いお方です。下々の者と直接関わり合いになってはなりません」
 下々の者。その言い方に引っかかったルカが食い下がる。
「私は……っ」
「ルカ様。あなたの笑顔は眩しすぎるのです。あのような関わり方をすれば、相手に誤解させ傷つけるだけです。どうぞお忘れなきよう」
 青い髪の神官は、最近神官の位についたばかりだった。聖女の身辺の管理をすべて担っているのだが、ルカは口うるさい監視役がついて辟易している。時折ルカを見る目がねっとりとまとわりつくようで気味が悪いこともあるのだが、基本的に正論しか言わない。ルカをあくまで『聖女』として扱っているだけだ。
 吟遊詩人と歌っているところを見られたのかと、ルカは舌打ちしそうだった。聖女らしからぬ態度をなんとか抑えて話を切り返す。
「私、時々は一緒に歌いたいわ」
「ルカ様、今の話を……」
「そうじゃなくて。歌唱隊にもソロで歌える歌唱力のある人がいるでしょう。もうずっと一人で歌い続けてきて、すっかり忘れていました。誰かと一緒に歌うことの楽しさを。だから   
「なりません」
 ルカの願いは神官によっていともあっさり握りつぶされる。
「大聖堂に集う者はみんなルカ様の歌声を求めているのです。伴奏ですら邪魔に感じることがあるというのに、コーラスなどもってのほかです」
 聖女が歌うとき、伴奏は王国一のピアニストが担っている。それでも聖女の歌声の前にはピアノの音色すら邪魔に感じることがあるのだ。それを実感している兵士も少女も反論できない。
 神官の言っていることは正しい。そしてそこに柔軟な考えが入る余地は微塵もないのだ。
 聖女はため息をついて、
「……勝手を言いました。重ね重ね申し訳ありません」
 頭を下げて自室へ戻ろうとした。
「ルカ様、そのペンダントはお外し下さい!」
 背中に投げつけられた言葉に、ルカは立ち止まることなくその場を後にした。どっと疲れが押し寄せてくる。
 涙がこぼれ落ちる前に、早く自室に戻って眠ってしまいたかった。



 その夜、ルカがふてくされて枕に顔を埋めてうだうだしていると、小さく窓がノックされていつものようにがくぽが現れた。ルカがやはりいつものように飛び起きてがくぽに抱きつくと、
「……なんかお酒臭い」
 顔色は変わらないが何となく酒の匂いが漂ってきた。がくぽが困ったように笑う。
「あの後しこたま飲まされたんでな」
 主にその場にいたおっさん勢に聖女とのやりとりを肴に昼間から飲まされたのである。冷やかされたりあらぬことを言われたりしたものの、最終的には聖女への賞賛になる。聖女を自分の娘のように自慢する親父たちの酒がまずいはずがない。何だかんだで結局夕方近くまで飲まされてしまった。
「……正直驚いた。俺があそこにいることを知っていたのか?」
「まさか。偶然よ。神職見習いの子がいたでしょう? あの子があなたの大ファンでね、いつもあなたの歌を歌って聞かせてくれるのよ。少し音は外れてるけど」
 ルカが微笑む。
「大通りを歩いているときに、あの子が真っ先にマリスが歌っているのを見つけたの。見に行ってもいいかってあの子が言ってくれたから私も見に行けたのよ。寄り道を提案してくれたのもあの子だしね。本当に助かっちゃったわ」
 彼女が言い出さなければ、ルカからは絶対に寄り道をしたいとは言わなかった。今日の奇跡は彼女の功績だと言ってもいい。
 ルカの胸元に大振りの金細工に青い宝石が光るペンダントが揺れる。存在感のあるペンダントは誇らしげにルカの胸を彩り、今日の奇跡を思い出させる。
「どう? 似合う?」
 上目遣いでがくぽを見上げた。心ここにあらずといった様子でルカを見つめるがくぽの頬にそっと手を伸ばす。
「がく……、っ」
 手を取られ、強引に唇を奪われた。強く抱きしめられ、ルカも応えるようにがくぽを抱きしめる。
 何度も唇を求め合って   がくぽは少しだけ身体を離してルカを見つめた。青い宝石のような瞳が潤んでいる。
「……お前がほしい。俺だけのものにしたい。誰にも渡したくない……!」
 がくぽの熱っぽい吐息がルカの心に絡みつく。激しさと甘さと切なさを溶け合わせた声はルカの身体を芯から甘美に縛り付ける。
 叶うものならそのまま永遠に束縛されていたい。
 叶うものならこのまま奪われてしまいたい。
 叶うものなら   
 ルカは言葉を紡ごうとして   声に出せないまま唇を結んだ。目を伏せてうつむき沈黙する。
 それが答えだった。
「……すまない」
 ルカに答えられるはずがないことなど、百も承知のはずだった。解っていて問うのは彼女を苦しめるだけで何の益ももたらさない。解っていたのに、言わずにはいられなかった。
 太陽の下で歩くルカは聖女として崇められ、ありとあらゆる人から崇拝と賞賛を受ける。それはがくぽの知る本当のルカとはあまりにも遠い存在で、急速に手の届かないところへ連れ去ってしまう。
 そんなことは出会った時から解っていることだった。解っていることだったのに、こんなにも理性と感情の折り合いがつかない。感情が追いつかない。
 ルカは『聖女』という名の国の宝である。そこに個人は存在しない。彼女に自由意志はなく、求められるままに歌い続ける聖なる存在であらねばならない。そのために体調管理も徹底されている。ルカに唯一許された自由は心だけだ。髪の一筋にいたるまで、他に許された自由はない。
 ルカはそれを息苦しいとは思わない。幼い日の辛い記憶を呼び起こせば、今の与えられた生活は比べものにならないほどに恵まれている。ましてルカの自由と引き替えに立派な孤児院まで建設してもらっている。ルカと同じ年頃だった子供たちはきちんとした教育を受けて自立したと聞いている。親のない子供たちの未来を救ったことを考えれば、ありとあらゆる行動を制限されても不満はない。
 たったひとつ   がくぽを想う時だけが息が詰まるほどに苦しかった。
 応えられるものなら応えたい。
 それが許されないのはお互いに嫌になるほど解っていて   それを侵すことができないのもお互いにうんざりするほど熟知している。
 だから今までがくぽはルカを求めるようなことはしなかった。おくびにも出さなかった。ルカも気づかない振りをした。夜空を照らす月だけがふたりの想いを見透かしているのだろうと思いながら。
 身を裂くほどの切ない沈黙がふたりの間に横たわる。触れ合いながら   抱きしめ合っていながら、こんなにも遠い存在。求め合いながら、奪われることを願いながら、その手を取ることができない。
 今のふたりを繋ぐのは、ルカの胸元に輝くペンダントだけだった。
 どれだけの沈黙が過ぎていったのだろう。
 唐突にがくぽは身体を離し、両腕で軽々とルカの身体を抱き上げた。ルカが小さく悲鳴を上げる間もなく、静かにベッドに横たえる。
 ベッドに身体を預けたまま見上げるルカの前で、がくぽは優雅にルカの横に腰掛けて微笑んだ。微笑んだまま、そっとルカの寝衣をはだけさせる。
「あ……っ」
 露わになった豊かな胸をルカが慌てて両手で隠した。顔を真っ赤にして睨むように、すがるように見つめてくるルカに優しく微笑んで、唇を重ねた。
 少しだけ身をよじったルカを抱きしめて、存分に濡れた唇をねだった。与えるだけだった唇が、今度は熱い唇を求めてくる。漏れた吐息が絡み合う。
 ルカの唇に余韻を残したまま、がくぽの唇はルカの顎に優しく触れた。顎から首へ。首から鎖骨の間へ。
 自分を抱きしめていたはずのルカの両手は、気がついた時にはがくぽを抱きしめていた。焦らすように鎖骨の間からゆっくりと下りてくるがくぽの唇をせがむように、抱きしめるルカの手が熱を帯びる。
 がくぽの唇が、ルカの胸元に輝くペンダントをくわえてその位置をずらした。そして、ペンダントが護っていたその場所を   ルカの豊かな胸に顔を埋めて唇を這わせ   強く、吸った。
「ん……あ……っ」
 きつく吸われて、ルカが小さく悲鳴を上げる。それでも彼女の両手はせがむように、ねだるようにがくぽを強く抱きしめる。
 ちゅ、と小さく音を立ててルカの白い肌から熱い唇が離れた。がくぽの熱い吐息にくすぐられてルカが身を震わせる。
 余韻に痺れるルカに微笑むと、がくぽは乱れたルカの寝衣を整えた。頬を紅潮させ潤んだ瞳で見上げてくるルカの額に優しく口づけると、
「……その印が消えるまで、ルカは俺だけのものだ」
 ニヤリと笑った。
 ルカは乱れた自分の呼吸と鼓動に急かされるように、寝衣の上からその場所に触れた。まだ少し甘い痛みが残る。
「あ……」
 ひとときだけの束縛は、媚薬のようにルカを甘くとろけさせた。身体中にまるで力が入らない。
「……がくぽ……」
 助けを求めるように見上げるルカを、がくぽは不敵に笑ったまま見下ろしている。
「お前は? どうする?」
 頭の奥がじんじんする。身体の芯が熱で溶かされたような感じがして何も考えられない。がくぽの言葉の意味を図りかねて、ルカは涙ぐみながら藤色の瞳を見つめ返す。
「俺をお前のものにしなくてもいいのか?」
 ルカはがくぽのものにはなれない。だから、自分だけのものにすることはできない。応えることができないくせに、自分だけを見てくれとは言えなかった。
 けれど、刹那の束縛なら   
 がくぽがルカにしたように、ひとときの愛の印をその肌に刻むだけなら   
 小さく息を飲んだルカを誘うようにその隣に寝転んで、がくぽは自分の服をはだけさせた。引き締まった胸が露わになる。
 いつも頼もしくルカを受け止めるがくぽの胸を直に見るのは初めてだった。ルカは身体を起こしてその胸に触れようとして   完全に力が抜けてしまっていたルカは、勢い余ってがくぽの胸に倒れ込んだ。
 助けを求めてがくぽを見つめても、ニヤニヤするばかりで手を貸してくれる気配はない。ルカは悔しいやら情けないやらで半べそをかきながらよろよろと身体を起こし、倒れ込んでしまわないようにがくぽにまたがって勝ち誇ったように見下ろした。当然のように勝ち誇った笑みを浮かべるがくぽにムッとしながら顔を近づける。
「……何よ」
「どうぞお好きに?」
「本当に好きにしちゃうんだから」
 ふくれっ面のルカも愛おしい。
「ああ。俺はお前のものだ。好きにしろ」
 たとえルカが自分のものにはならなくても、この身も心もとうにルカに捧げている。煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わない。
 がくぽの温かい手がルカの髪をなでた。胸の奥がきゅんと締め付けられる。
「お言葉に甘えるわ」
 両手でがくぽの頬を包んで唇を重ねた。あれだけルカを求めてきた唇が嘘のように応えない。少しだけ身体を離して間近くがくぽを見つめてみれば、お手並み拝見とばかりに楽しそうに笑っている。
 そっちがその気ならと、ルカも意地になってがくぽを誘いだそうと必死になる。髪をなでようとするがくぽの手に指を絡めて押さえつける。ルカのか弱い拘束を、がくぽは振りほどこうとはしない。ただされるがままになっている。
「んー……」
 唇に気を取られているルカの胸ががくぽの胸に押しつけられる。それがとても扇情的であることに、当人はおそらく気がついていない。
 平静を保っていたがくぽの吐息がかすかに乱れた。ルカが心の中で歓喜の声をあげるより早く、がくぽの舌がルカのそれに絡みつく。
「ひゃあっ!?」
 驚いたルカが飛び起きてがくぽを見下ろした。かすかに乱れた吐息はすでに整えられており、
「どうした? もう仕舞か?」
 挑発するように笑った。
 くやしい。
 くやしすぎる。
 ルカはあんなにもがくぽに翻弄されてしまったのに、がくぽはまるでびくともしない。こんなのは不公平だ。
 すでにすっかりがくぽのペースにはめられていることなど気づく由もなく、ルカが不公平の是正に取り組むべく再びがくぽの唇を奪う。
 今度は誘い出そうとはしない。唇で温もりを確かめ合うと、そのまま唇の横、頬、耳の付け根、耳朶へと口づけていく。
 ルカの吐息が甘い蜜となってがくぽの耳に注ぎ込まれる。心の準備があったにも関わらず、がくぽは背筋が痺れるような感覚に襲われて思わず身を震わせた。
 追い打ちをかけるようにルカの舌ががくぽの耳をからかうように舐める。完全に予想外のことに対処しきれず、がくぽは身をよじらせて吐息を漏らした。
「な……っ、……」
 ルカが勝ち誇ったようにがくぽを見下ろしている。
「好きにしてもいいんでしょう〜?」
 してやったりといった表情でルカがニヤニヤしながらがくぽの頬をなでる。
 言った言葉を覆すことはがくぽのプライドが許さない。
「……そうだ。お前の好きにしてくれていい」
 眉間に皺を寄せて渋い顔をする。
「好きなだけ俺を辱めろ」
 ふてくされたがくぽと対照的に、ルカが思わぬ台詞を受けて頬を紅潮させた。身体を硬直させたルカに何事かとがくぽが彼女の顔を見れば、自分の言った言葉の意味を思い返してがくぽ自身も言葉を失ってしまった。
 改めて見てみればどういう状況なのだろう。
 衣服をはだけさせ胸を露わにして仰向けになっているがくぽを、ルカが馬乗りになって見下ろしている。まさにこれから辱められようとしているところではないか。
 がくぽの言葉で状況を客観視してしまったルカは顔どころか耳まで真っ赤にして両手で顔を覆ってしまっている。がくぽはがくぽで自分で招いておきながら、この事態に戸惑ってしまっていた。二の句が継げないとはこのことかと、どこか他人事のようにがくぽは思った。
「……ルカ」
 顔を覆ったままの手を捕まえて、がくぽは優しく己の胸へと誘った。
「早くお前のものだという証を刻んでくれ。俺はお前に支配されたい」
 ルカの手を握る手に力がこもる。
「好きなだけ証を刻みつけろ。俺はお前のものだ」
 うつむいたルカの瞳が泣き出しそうに潤んでいる。
「ねえ、がくぽ」
「どうした」
「ずるい」
「そうか」
「ずるい。本当にずるいわ」
「そうだな」
 困ったように、微笑み合った。
 がくぽの胸の上で手を重ね合ったまま、ルカはがくぽの唇に自分のそれを触れ合わせた。言葉の代わりに温もりで愛を注ぎ込もうとするように。
 ルカの愛であふれ返ったがくぽの唇から、今度はルカに情熱が注ぎ込まれる。愛と情熱を数え切れないほどにやりとりを交わして、ルカはがくぽの顎に口づけた。がくぽが先程そうしたように、顎から首筋へ、首筋から鎖骨の間へと口づけていく。
 がくぽの右の鎖骨の下に触れたルカの唇が、遠慮がちにがくぽの肌を吸った。唇を離したあとに小さな赤い愛の花びらが散っている。
 ルカの唇は鎖骨の間を通って左の鎖骨の下に触れる。がくぽに髪をなでられながら、愛の証を刻んでいく。左の鎖骨の下からまっすぐ下りて頼もしい胸板に、その次は右の胸板に。
 ルカが散らした愛の花びらはあまりにも儚くて、朝には消えてしまいそうだった。がくぽは薄紅色の長い髪をなでながら、
「……遠慮するな。見る度にお前を思い出せるように、強く刻みつけてくれ」
 熱っぽくせがんだ。がくぽの胸に頬を埋めながら上目遣いで見つめるルカが小さく頷く。
 右の胸板からみぞおちのあたりに移動して、ルカは強く吸い上げた。それまでよりは赤い色が強く出ているが、がくぽがルカの胸に刻んだ印にはまだ足りない。
「もっとだ」
「大丈夫? 痛くない?」
 心配するルカを優しく抱きしめる。
「お前はさっき痛かったのか?」
 がくぽが愛の証を刻みつけたときの、身体が疼くような甘い痛みを思い出して顔を紅くする。肌に触れているルカの頬が熱い。
「痛かったのなら、同じ痛みを分けてくれ」
 がくぽの囁きにルカの胸に刻まれた印が熱を帯びたようだった。どくんとひときわ鼓動が高鳴る。
 みぞおちの少し下に口づけて、強く、強く吸い上げる。かすかにがくぽの吐息が乱れたが、ルカは構わずにそのままきつく吸った。
 ちゅぅ、と小さな音を立ててルカの唇が離れたとき、そこにくっきりと赤い花が咲き誇っていた。
 頭をなでられて無邪気に笑うルカを見て、がくぽも笑った。
 こんなにも愛しくて仕方がない。
 こんなにも触れ合っているのに、ルカは決してがくぽだけのものにはならない。
 ならば、せめて自分はルカのものであるという確かな証が欲しかった。ルカにがんじがらめに絡め取られてしまいたかった。
「ルカ」
「うん?」
「足りない」
「まだダメ?」
「あと100は欲しい」
「えぇ〜……」
「ダメか?」
「ダメじゃないけど……」
「頼む」
 甘い笑顔でお願いされたら、ルカに断ることなどできない。まんざらでもなさそうに、ルカは先程の場所から少し下りたところに唇を這わせた。
 艶めかしい音を立てながら強く吸われて、がくぽの背中がびりびりと痺れた。一瞬背を反らしたがくぽをちらりと上目遣いで見るルカがひどく淫靡に見える。頭がぐらりとして身体の平衡感が崩れた気がして、思わず右手で顔半分を覆った。
 がくぽの引き締まった身体に赤い花を咲かせながら、ルカの唇がゆっくりと正中線に沿って下りていく。
 臍のすぐ上をくすぐるルカの唇の感触に、がくぽはわずかに身をよじらせて   、ふと気がついた。
 このまま行くと、どうなる?
 右鎖骨下から始まって、左鎖骨下、左胸、右胸、みぞおち、臍を通って、その先は?
(……っ!!???)
 その先を想像してしまった。
 そんな夢を見たことがある。
 いや何故今そんなことを思い出すのか。
 やけに生々しかった夢の、感触まで思い出す。
 顔から火が出るほどに熱い。間違いなく耳まで赤い。いよいよ頭が、身体がぐらつく。醒めたはずの酔いが急速に回っていく。
 期待しない訳ではない。
 期待してもバチは当たらないんじゃないか。
 そんなことをぐるぐる考えながら、完全に思考は停止している。今までにないほど心臓が跳ね上がり、身体から飛び出してきそうだった。
 全身から力が抜けていく。指先から血の気が失せて、身体の中心に凝縮されて沸騰しそうだった。
 がくぽの視界がぐにゃりと歪んだとき   ルカの唇ががくぽの臍のすぐ上あたりを強く吸った。
「あつっ……」
 不意を突かれ、がくぽは思わず声を漏らしてしまった。ルカが慌てて身体を離す。
「痛い!? 大丈夫!?」
 心配そうにがくぽの顔をのぞき込んでくるルカの純粋さが今はとても心苦しい。
「いや……違う……、そうじゃない……」
 視線を落とせば今度はそこにルカの豊かな胸が揺れている。がくぽの角度からでは胸の谷間がしっかりと見えている。
 まっすぐな青い瞳に見つめられて、やるせなさといたたまれなさでいっぱいになったがくぽは、ルカを抱きしめてそのまま横向きになった。ルカと向かい合わせになる。
「……すまん、急に酔いが回った。醒めたと思ったんだがな」
 自嘲するがくぽをしばらく見つめていたルカだったが、ふと手を伸ばしてがくぽの頬に触れた。
「すごく熱い」
「飲まされたからな」
「……本当にそれだけ?」
 青い瞳が潤んだ藤色の瞳を見つめる。何かを言いかけたがくぽだったが、口をもごもごさせて拗ねたように視線をそらした。子供のようながくぽを見て、その頬を指で優しくつつく。
「がくぽの意地悪」
「お互い様だ」
 自嘲するように笑い合った。
 求められたら応えるつもりだった。
 奪われるなら捧げるつもりだった。
 求めてくれたらよかったのに。
 奪ってくれたらよかったのに。
 自分からは伝えられない願いを、お互いに相手に託した。
 そして、どちらも一線は越えられなかった。
 最初から解りきっていたことで、お互いにどちらも踏み込めないことを知っていた。知っていて賭けて、負けただけだ。
 静かに抱きしめ合いながら、いつまでもこの温もりを抱いていたいと思う。
 ひとときの衝動でこれから先のこの温もりを失うような短慮など、ふたりにはできなかった。
 お互いがお互いに、太陽で、世界で、すべてだった。
 そのすべてを失ってでも情熱に賭けられるような刹那主義にはなれなかった。
 ふたりが選んだのは永遠にも等しい燃え上がるような激しい一瞬の情熱ではなく、これからも続く穏やかに抱きしめ合う今の温もりだった。
 一日の太陽の下での巡り逢いと、千日の月下の中の秘密の逢瀬。ふたりが選んだのは後者だった。
 最初から互いに心に決めていたことで   それを確かめ合っただけだ。
 それなのに、求めてくれれば、奪ってくれればと我が儘なことを想ってしまう。相反する想いがせめぎあって、胸が締め付けられるようだった。
「ルカ」
「うん?」
「愛してる」
「うん」
 切なくて心がちぎれそうでも、そこにいてくれるのなら   この手に温もりを感じていられるのなら、その方がいい。
「がくぽ」
「ん?」
「愛してる」
「ああ」
 優しく口づけた。
 視線を絡ませて、哀しそうに笑ったのはどちらが先だっただろう。
 窓の外に目をやれば、月がだいぶ傾いている。ふたりに許された時間は終わりを告げようとしていた。
「もう少しだけ……抱きしめていてもいいか?」
「……今はあなただけのものよ。好きにして」
 唇が刻みつけた赤い花びらが甘く熱を帯びた気がした。
 今宵咲かせた愛の花が夜明けとともに散ってしまっても、この胸に残る温もりも奪った唇も決して忘れまいと心に強く誓った。
 たとえ遠く離れても、もう逢えなくなったとしてもこの愛だけは失くすまいと   

2015.02.14
Happy Valentine's Day!

■後書■
 回想シーンに出てきたペンダントの補足砂吐きラブ。400字詰原稿用紙50枚分費やしておいてキスしかしてないという現実。ちなみに視察帰りの神官に往来のデュエットを目撃されて怒られてますが、その神官は視察ついでに北の方で仕込みをしてきております。改めて13話を読み返すと印象が変わるかもしれません。最後まで読んで下さってありがとうございました。 Happy Birthday Dear!
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