真空の聲、静謐の旋律

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   β:初夜5

 よろめく足で階段を上りきったミクは、ドアノブに手をかけようとして  ドアが少しだけ開いていることに気がついた。
 少し耳を澄ましてみても何の音も聞こえてこない。もう寝てしまったのだろうかとそっとドアを開いてのぞき込む。
 ベッドの上には弦が切れたフィドルが無造作に置かれ、がくぽは机にうつ伏せていた。こちらに背を向けているため眠っているかどうかまでは解らない。ただ静まり返った空気がその部屋を支配している。
(どうしようかな……)
 きちんと謝ろうと意気込んで来たものの、出鼻を挫かれてしまった。そのまま戻ろうかとも思ったが、もしがくぽが眠っているのであれば毛布を掛けようと思い直し、静かにドアを開けて一歩足を踏み入れる。
(え!?)
 それまで一切聞こえなかったがくぽの声が聞こえてきた。明らかに寝言ではない。それまで聞こえなかった音が唐突に聞こえるようになったかのように、がくぽの独り言が突然耳に飛び込んできた。
「……すればよかったんだ……? なあ、ルカ。頼む、教えてくれ……」
 子供が母にすがるような声でがくぽが呟いていた。
 ベルトを落とさなかったのはミクの意地だったかもしれない。呆然としながらも、ミクは足音を立てないよう静かに一旦部屋を出て、ドアを元の位置に戻した。
(何……どういうこと……)
 いろいろな思いが頭の中を錯綜して何一つまとまらない。小さく首を横に振って、ミクはぐちゃぐちゃになった情報をひとつひとつ整理していく。
(えっと……、音が聞こえないのは札かな……)
 ミクの家全体に防音魔術の札が貼られている。日中はミクが多忙なため、歌の練習をするのは夜遅くになることが多い。近所迷惑にならないよう、防音魔術の札を貼って音が外に漏れないようにしている。それと同じことをがくぽの部屋単体でもしているのだろう。
(さっきの独り言は……、確かにルカ様を呼んでたけど……)
 すがりつくような声で一体何を請うたのだろう。いずれにせよ、愛を誓うような雰囲気ではなかった。
 ドアの前で何通りも考えるが、小さくため息をついて考えるのをやめた。どれだけ考えたところで無駄でしかない。
 ミクは数度深呼吸をして、思い切ってドアを叩いた。
「がくぽ、起きてる? ドアが開いてるけど……」
 返事を待たずにドアを開けると、驚いた顔をしたがくぽが身体を起こしてこちらを見ていた。机の上にきらりと光るものを見えなかったことにして、ミクは一歩部屋に足を踏み入れた。
「どうした、どこか痛むのか?」
「あ、ううん。ベルトが落ちてたから」
 歩み寄ると、がくぽがミクを見つめたままで片手で机の上に出ていたものを箱の中にしまった。手探りでしまったために、チェーンが箱からはみ出している。見て見ぬ振りをして、ミクはがくぽの前で立ち止まった。
「ほら。忘れ物」
 差し出されたベルトをがくぽが受け取る。
「ああ……ありがとう」
 数秒の沈黙の後、ミクは戸惑う藤色の瞳を振り切るように頭を下げて、
「さっきはごめんなさい」
 がくぽに言い返す隙を与えずに謝った。
「私、今までがくぽにいっぱい優しくしてもらったのに、ひどいことばかり言って……。本当にごめんなさい」
 頭を下げたままがくぽの言葉を待っていると、大きな温かい手がミクの頭を優しくなでた。
「ミク。お前が謝ることはない。お前にそう言わせてしまった俺の責任だ」
「でも……」
 顔を上げて反論しようとするミクを手で制して、がくぽはベッドの上のフィドルを壁に立てかけた。微笑んでミクに腰掛けるように仕草で促す。
 どうしようかと迷ったが、ミクは勧められるままベッドの端に腰を下ろした。両足を揃えて膝の上に手を置いて、がくぽの言葉を待つ。
「……いろいろと……。何から言えばいいのか……」
 しばらく遠い目をしていたが、がくぽは小さく頷いてから椅子の向きを変えてミクとまっすぐ向かい合った。
「……お前と同じことを俺も考えた」
「同じこと?」
「……俺はもしかしたらルカの代わりにミクを愛したんじゃないか、と……自分の気持ちに気がついてから、何度も何度も、繰り返し繰り返し……気が遠くなるほどの自問自答を繰り返した」
 自嘲気味にがくぽが続ける。
「寂しさとか孤独とか、そういったものを誤魔化すためにミクを必要としたんじゃないかと何度も考えた。何百回、何千回と自分に問うたか解らない。その上で  そうではないという結論に達した」
 ミクはただ黙って聞いている。
「ミクは俺にとって恩人なんだ。俺の新しい世界の創造主と言ってもいい。それはルカにはできないことだ。ミクはルカの代わりなんかじゃない」
「恩人って言われても……。私、何もしてないよ?」
 ミクが首を傾げた拍子に、可愛らしく髪が揺れた。
「あの閉ざされた森で  心を失っていた俺に、人の心を取り戻させてくれた」
「がくぽは心を失くしてなんかいないじゃない。ちゃんと……」
「いや。人の心があったなら、あんなにも簡単に人を殺せはしない」
 がくぽの声が凍てついたように強ばった。
 森の中で初めてふたりが出逢ったときを思い出せば、殺意を込めて刃を交えたのだ。
「殺すことにためらいはなかった。……俺の心は完全に壊れていた。だから何人も殺せた。お前のことでさえ……、最初は見殺しにしようとした」
「でも」
「何を言っても言い訳にしかならないことは解っている。あの閉ざされた森の中で  人の心を保ってはいられなかった。とても正気を保てない……、心なんてものがあったら、気が狂う……」
 森の中で出逢ったときのがくぽの顔を思い出す。不敵に笑って刃を交えた。そして淡々と真実を語った。その後で  ルカの変貌を語るときのがくぽの表情は、無表情なのに世界が枯れ果てたかのような悲しみをたたえていた。
 思い出しただけで胸が締め付けられるような苦しみに襲われる。ミクは思わず自分を抱きしめた。
「あの時、ミクが俺の中にある人としての心に……感情に語りかけてくれなければ、俺は永遠に心を取り戻すことはなかった。本当に感謝している。ミクは俺の恩人なんだ。俺に新しい世界をくれた。もう二度と歌うことも、誰かを愛することもないと思っていたのに……、その喜びを思い出させてくれた。本当に……心から感謝している」
 凍てついていたがくぽの声が緩やかに融けて、ミクのひび割れた心を包み込むように温かく、優しくしみこんでいく。
「がくぽはちゃんと自分で心を取り戻してたよ」
 先刻はあれほど心に入っていかなかったがくぽの言葉が、ひとつひとつミクの心の奥へと伝わっていく。
 何かを言いかけたがくぽを遮ってミクが続ける。
「だって、がくぽは自分で足を止めたじゃない。私が何かを言う前に、あんなにも辛い思いをしながらちゃんと本当のことを話してくれたもの。私は何もしてないよ」
 すべてを聞き終えたとき、ミクはそれでもルカに会うと決めた。がくぽはそのままミクをルカのところへと案内しようとして  立ち止まった。一度はルカへの供物として捧げようとしたかもしれない。だが彼は足を止めた。思い留まり、心臓を貫かれるほどの痛みに耐えてミクに真実を語ったのだ。
「それは……」
「がくぽはちゃんと、ずっと心を失くしてなんかいなかったよ。戦うことにためらいはなかったかもしれないけど、ずっと……罪を背負ってることを自覚してたもの。心がなかったら罪の意識なんて感じないよ」
「俺は……、それでも人を殺した」
「……そうだね。重ねた罪は肯定できないけど……」
 ミクと同じように聖剣に選ばれた少女たちが、何人も森で命を落とした。がくぽの刀に斬り捨てられた者もいれば、ルカへの生け贄になった者もいる。一歩間違えばミク自身もそうなっていただろう。
「でも……、」
 沈痛な表情を見せたがくぽに、精一杯の笑顔でミクは続けた。
「でも、私はがくぽが好きだよ」
「お前は……、」
 言いかけてがくぽは言葉を切った。もれそうになる嗚咽をこらえて、やれやれとため息をつく。
「まったく……お前は本当に大した奴だよ」
 ミクのすぐ隣に腰掛けて肩を抱き寄せた。今にも折れてしまいそうな小さな肩が、あまりにも儚くて胸が切なくなる。
「そうだ、まだ言ってなかったな。さっき寝る前におまじないをしてくれただろう。おかげでよく眠れた」
「本当?」
「ああ、あんなに深く眠れたのは久しぶりだ」
「よかったぁ」
 ミクが嬉しそうにがくぽの肩にもたれかかった。ミクの表情は窺えないが、ほっとしたような声に安堵の表情を浮かべているのが解る。
「また頼んでもいいか?」
「うん、いいよ」
 ベッドからぴょこりと下りて、ミクががくぽの正面に立つ。両手で頬を包んで、優しくがくぽの額に口づける。
「……どうしたの?」
 自分の頬を包むミクの手を掴んで、がくぽが驚いたような顔で見上げている。
「手が冷たい……」
「え、あっごめん、手が冷えてたみたい」
「そうじゃない、お前、こんなに身体が冷えて……!」
 がくぽに腕を強く引かれて、胸に飛び込む形で抱きしめられた。そのままベッドに倒れ込むように並んで横になると、毛布の中でぎゅうっと抱きしめられる。
「何、あの、え?」
「寒かったのか」
「寒くはないけど……さっき身体を拭こうとして、洗面器のお湯が冷めちゃってて、沸かし直すの面倒だったからそのまま……」
「そういう時は俺を呼べ」
「冷めるって言ったってぬるま湯くらいだし、わざわざ呼ぶのも悪いから……」
「遠慮するな、バカ」
 強く抱きしめられてミクがもがけば、がくぽが腕の力を少しだけ緩めて背中をさする。寝衣を通して大きな手から温もりが伝わってくる。
「あったかい……」
 ほっとしたように小さくため息をついたミクの足に、がくぽの足が絡みついてきた。一瞬ぎくりとしたミクだったが、氷のように冷えきっていた足先ががくぽの温もりに触れて体温を取り戻していくのを感じ、安心したようにがくぽにぎゅっと抱きついた。
「……なんか恋人同士みたい」
 照れくさそうに呟いたミクの言葉に、一瞬の間を置いて  がくぽがわずかに身体を離した。
「今、何て言った?」
 がくぽの強ばった顔を見て、慌ててミクが取り繕う。
「あ……っ、ごめんなさい! 嫌だよねそんなこと言われたら……、なんかひとりで勝手に私ばっかり盛り上がっちゃって……」
「待てミク、落ち着け。俺に素数を数えさせるな」
「そすう?」
「何でもない。いや、そうじゃない。ミク、確認したいことがある。正直に答えてくれ」
「う、ん……」
 ひとつ深呼吸をしてからがくぽが真っ直ぐにミクを見つめる。
「……俺とお前はどういう関係だ?」
 改めて問われ、数秒考え込んでから、
「がくぽは私の魔術の先生で、私は……弟子?」
 人差し指を唇にあてて首を傾げたミクがどうしようもなく可愛かったが、がくぽは抱きしめるどころか盛大なため息をついてがくりと肩を落としてしまった。
「え、あれ? 違う?」
「……あのな。俺は昨晩、お前に何て言った?」
「昨晩? えっと、どれ?」
「……手を繋いで、俺と同じ気持ちだったら握り返してくれと言ったときだ」
「あ……、『愛してる』って……」
 言われた瞬間のことを思い出したのか、ミクが頬をうっすらと朱に染める。
「そうだよな? 俺は言ったよな? 間違いなくお前の耳に届いたな?」
「え……? うん……」
「それで、お前は俺の手を握り返したな? それはどういう意味だった?」
「それは……、私も……がくぽのこと愛してるって……」
 何故そんなことを念を押すように聞かれるのかと訝しむミクに、がくぽは再度大きなため息をついて、
「俺たちはお互いに愛し合ってる。そうだな? お互いに独り身で、何の障害もない。それは恋人同士なんじゃないのか?」
 懇願するように見つめられ、ミクはしばし呆然とする。ひどく間の抜けた沈黙の後、ミクが真っ赤になった顔を両手で覆った。
「え、あ……、あ! そうなるの!? そうなの!? えっ!? だってそんなの、考えたこともなかったのに!」
「待て! じゃあ何か? 俺は恋人でもない相手を求めたと思われてたのか!? お前の中で俺はどんな最低男なんだ!?」
「そんなこと思ってない! 思ってないけど、だって、がくぽはずっと魔術の先生だったから……」
 口の中でもごもごさせるミクを前に、今度はがくぽが顔を両手で覆ってしまった。
(そもそもの原因はこれか……?)
 ぐったりする。こちらが『こう』だと認識していることが、相手には伝わらない。そんなことは他人同士なのだから当たり前で、対人関係においてよくある話だ。ただ、ここまではっきりとしていることに対して認識のずれが生じるというのは  どうすればよいのだろう。
(とにかく……これからはひとつずつ、面倒でもいちいち確認していかないと……。それで少しでもすれ違いが回避できるなら……)
 ほんの少し気をつければすむだけの話だ。がくぽは再度深呼吸して、両手でミクの頬を包み込んで蒼い瞳をのぞき込む。
「……俺たちは魔術の師弟で、仕事仲間で、同時に恋人同士だ。それでいいか?」
 ゆっくりと噛んで含めるように言われ、ミクはさらに心の中で何度も反芻し、
「……はい」
 とても  とても嬉しそうに頷いた。
「恋人なんだ」
「そうだ」
「なんかくすぐったいね」
「……俺は安心する」
「そうなの?」
「ここに居ていいと許された気がする」
「そんなの、これからもずっと居ていいに決まってるじゃない」
 ミクの言葉に胸の奥が小さく音を立てた気がした。これがミクの言っていた胸の奥がきゅーんとなるというやつか、と思いながら、温もりを徐々に取り戻してきた華奢な身体を抱きしめる。
「ミク……愛してる……」
 新しい世界をくれて、ここに居ていいと言ってくれる。今まで孤独な世界に生きてきた彼にとって、それがどれほど嬉しいことなのか  ミクには解らない。そこに居ることを許してくれる、それだけでがくぽにとっては恩人足り得るのだ。
 どれほどの言葉にならない感謝をこめて抱きしめたのか、これっぽっちも理解していないミクは、
「……ルカ様のこと、今も愛してる?」
 あろうことか、他の女の名を口にする。
「ミク、お前今それを言うのか……」
「あの……。ごめん、さっきペンダントを箱にしまうの見えてて……」
 ミクが少しだけ身体を離して見上げれば、渋い表情をしたがくぽが何かを言いかけて口を開きかけ  そのまま黙り込んだ。
 幾許かの沈黙の後、
「正直に言う。ルカのことは愛している。こればかりはどうしようもない」
 重く息を吐いてがくぽが続ける。
「だからといってミクはルカの代わりじゃないし、どちらをより愛しているかと問われても答えることができない。俺にとってミクはミクで、ルカはルカだ。比べることはできない」
 ミクから目を逸らすこともなく、まっすぐに見つめたままでがくぽは告げた。また面倒なことになるのではないかというがくぽの危惧を余所に、ミクはしばらく考え込んでから穏やかに微笑んだ。
「……うん」
「……それだけか」
「今のところはね。あのペンダントはもうしないの?」
「箱にしまったまま出さずにおこうと思ったんだがな。昨日の今日でこのざまだ。困ったときに助けを求める相手もいないんでな、聖女様にすがるしかないんだよ」
 がくぽが自嘲する。
「……困ってるの?」
「ああ、好きな女を泣かせてばかりで、どうしたらいいか教えてくれってな」
「そんなこと訊かれてもルカ様は困るんじゃない?」
「薄情者だと罵られるかもな。だがこんなことを相談できる相手もいない。……なんだ。俺は本当にどうしようもないんだな……」
「酒場のみんなは?」
「たとえ名前を伏せたところで、すぐお前のことだとばれる。そうなったらあっと言う間にいらん噂が尾鰭をつけて広まるぞ」
「それはちょっと嫌だなあ」
「俺だって嫌に決まってる」
 顔を見合わせて、笑い合った。あんなにも遠くに感じたミクの心が、今はこんなにもすぐ近くに感じられる。まるで蜃気楼でも見ているかのような距離間に戸惑いながらも、がくぽはミクの笑顔が間近にあることに嬉しさで胸がいっぱいになる。
「がくぽはさぁ……。私のこと、欲しいって言ってくれたじゃない?」
「ああ」
「ルカ様には……、その、言わなかったの?」
「言った。断られた」
「えっ?」
「相手は聖女様だ。国の宝だぞ、俺なんかとは身分が違う」
「でも……」
「俺も……欲しいとは言ったが結局は奪えなかった。出逢ったときからあいつは聖女で、俺はつまらない庶民  いや、疎まれる魔術師だ。最初から手の届くような相手じゃない」
 かつて森の中で過去を語った時のように淡々とがくぽは語る。
「ルカ様はがくぽを疎んだりしなかったでしょう?」
「……ルカは国にとって特別な存在だったんだ。もしルカの身に何かあったとしたらただでは済まない。俺一人が背負う罰ならともかく、聖女の名に傷がついたらどうなると思う」
 ミクは黙り込んだ。
 ルカの聖性は失われ、魔術師と通じた魔女と言われるかもしれない。聖女としての地位は剥奪され、処刑は免れたとしても追放はされるかもしれない。そうなったら、ルカは永遠に歌うことができなくなる。彼女の歌声は偽ることができない。歌声を聞かれたら一度もルカの声を聞いたことのない者でさえ聖女だと気づくだろう。
 ルカは聖女として崇められることに対して興味はなかった。だが、歌うことだけは絶対に譲らなかった。
 がくぽがルカを奪うということは、同時に歌うことを永遠に封じるということでもあったのだ。
「……辛くなかったの」
「蝋で固めた翼で太陽を目指せるほど、夢見がちではなかったらしい」
「そうじゃなくて」
 ミクの悲しそうな声に不意を突かれ、がくぽは一瞬言葉を失った。小さく深呼吸をしてから揺れるミクの瞳を見つめる。
「求められることがないのは……結構堪えた」
 寂しそうに笑った。
「解ってるつもりだった。届かない相手だなんて、解りきってるつもりだった。なのに……」
 心配そうにがくぽを見つめるミクの視線に、言葉を切って苦笑する。
「すまん、つまらないことを言った。忘れてくれ」
「がくぽは求められたいの?」
 頭をなでようとする大きな手を軽く振り払って、ミクは少し身を乗り出してがくぽを見つめた。真剣な眼差しを受けて、がくぽはしばらく考えてから、
「承認欲求のようなものだ。求められるということは必要とされているということだろう。誰でもいい訳じゃない。俺は愛する人に必要とされたい」
 自嘲するように  少し照れくさそうに呟いた。
 その承認欲求はかつて両親に見捨てられ、魔術師として忌み疎まれた過去から来るのだろうか。ミクはふと先刻のがくぽの言葉を思い出す。
 俺は求められたい。求められている実感が欲しい。
 それは  ミクに必要とされていたいということだ。
「……必要とされないということは……、居ても居なくても同じということだ。それを思い知るのは……なかなかどうして、『身を切るような』とはただの比喩だと思っていたんだが、本当に身を切られるような痛みを感じるものなんだな」
 遠い目をしてがくぽは目を閉じた。時々揺れる睫が痛々しい。ミクはわずかに唇を開いて  言いかけた言葉を口を閉ざして飲み込んでから、できるだけ声が震えないように、優しく言葉に乗せた。
「ルカ様はがくぽを必要としていたよ」
 ミクの言葉の意味を計りかねてがくぽが目を開く。
「ルカ様はがくぽに応えられなかったかもしれないけど、必要としてない訳じゃなかったはずなの」
「ミク?」
「ルカ様に自由が許されてたなら、きっと……、ううん、絶対にがくぽを求めてたはずだから、その……、そんな悲しい顔しないで……」
 今にも泣き出しそうなミクを抱きしめて、がくぽは小さく息を吐いた。
「おかしな奴だ。ついさっきまでルカと比べて落ち込んでいたくせに、今度はルカを庇ってお前が泣くのか」
 ミクの瞳からぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちた。
 思い返せば出会いの時ですらミクは敵であるはずのがくぽを思いやった。敵意も露わに切り結んだその手で、痛みに震えるがくぽに触れて心を温めようとした。
 あの森で出逢ってから二年。二年前も今も、まだ二十歳にもならない少女に守られっぱなしだ。がくぽは流れ星のような涙を指で拭って、抱きしめる腕に力を込める。
「本当に……大した奴だよ」
 かつてルカを求めたとき、ルカはただ黙ってうつむいた。そのときの表情を忘れた訳ではない。ルカはがくぽに応えなかった。どんなに応えたいと願っても、状況はそれを許さなかった。
 ルカは誰よりもがくぽを必要としていた。言葉にしなくてもお互いに息が詰まるほど、互いの気持ちを解り合っていたはずだった。
 二百年という孤独な歳月はルカとの思い出を悲嘆色に塗り変えるのに充分だった。解り合っていたはずのルカの気持ちでさえ見失ってしまっていた。
 それをミクの涙は思い出させる。森の中で歌い続けたミクの声が、がくぽの心に沈んでいたルカとの思い出をよみがえらせたように  
「ミク……。ルカを守ってくれてありがとう。大切なことを思い出させてくれて……」
 答える代わりに、ミクは藤色の髪を何度も何度も優しくなでた。
 やがて抱きしめてくる腕が緩み、すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてきた。顔を上げてみれば、がくぽの穏やかな寝顔がそこにある。
(……おやすみ)
 がくぽの胸元にそっと口づけると、ミクも静かに夢の中へと誘われていった。
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