「やっぱり雨、降ってきちゃったね」
プラネタリウムから一歩出たところで、窓から見える空を仰いで松木ひなたははぁ、とため息をついた。朝からどんよりとした厚い雲が空を覆ってはいたのだが、これでは折角の七夕だというのに星空が見えないではないか。
「毎年七夕って雨が多いもんな・・・」
長瀬一が落胆するひなたをなだめるように、ぽんと肩を叩いた。夜空に流れる天の川は見られないけれど、今日はプラネタリウムで見たのだからいいじゃないかと。
「うん・・・そうだけど・・・」
星とか神話とか伝説とか、そういった類のものが好きなひなたにとってはやはり「七夕」も大事なイベントだったらしく、そう簡単には立ち直ってくれそうにない。好きな人には笑ってて欲しいものなのだが、なかなかそうはいってくれなくて一がこっそり苦笑する。一はひなたよりも頭一つ分背が高いので、その表情を悟られることはあまりない。
何か気を紛らわせるものは、彼女の興味を引けるものはないだろうかと周囲を見渡した一が、指をさしてひなたにそちらを見るように促した。
「・・・なあに?」
一の長い指が示したその先に、笹が飾られていた。
「七夕の飾り付け?」
「なんか、短冊書いてもいいみたいだよ」
「え、本当!?」
みるみるうちに、ひなたの表情がパアァッと輝き出す。ついさっきまでしょぼくれてため息ついてたのと同じ人物とは思えないパワーで、ぐいぐいと一を引っ張っていく。
「ねえ、書こう?」
短冊に願い事を書けるように用意されたテーブルの周囲は、親子連れやカップル、それに女の子たちのグループがキャアキャア言っていたりして割と混雑している。ひなたにせがまれたらまずイヤとは言えない一が、長いリーチに物を言わせてテーブルから短冊を2枚取ると、一枚をはいと彼女に手渡した。ピンク色の短冊に、笹に結べるようにこよりがついている。
「えっと」
「ペンあるよ」
自分のカバンをあさろうとしたひなたに、ちょうどあいたらしいペンをテーブルから取って渡すと、ありがとうと微笑んで壁際に向かっていった。テーブルを空くまで待つには時間がかかりそうだったので、壁で書いてしまったほうが早い。それに倣って一もその隣で書こうとしたのだが、
「・・・見ちゃダメ!」
ひなたの一喝で阻止されてしまった。いや見るつもりはないから、と言っても背の高い彼の視線からならば、その位置では彼女が短冊に何を書いているのかなどすぐに覗けてしまう訳で。
「はいはい・・・」
仕方なく、ちょっと離れたところの壁で書くことにした。
何やら書き始めた一を見て、ようやくひなたはペンのフタを取る。
願い事願い事願い事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。
・・・・・・。
うーん・・・?
願い事・・・って、何だろう。
ちょうど一年前くらいまではクラス内での風当たりも強かったし、学校で話せる相手もいなかったし、紅茶を入れても飲んでくれる人もいなかった。
けれど今は、一がいてくれる。
進級しても選択が同じなのでクラスも一緒になれたし、放課も話し相手になってくれる。家で入れた紅茶を魔法瓶に入れて持ってくれば、学校でおいしいと言って飲んでくれる。
「うーん・・・」
願い事っていうか・・・。
でも、これしかないしなあ。
まあいいか。
「できたー」
「できた?」
すぐ背後でした一の声に、小さく悲鳴をあげてひなたが慌てて短冊を隠した。
「な、長瀬君はもうできたの?」
「うん、書くこと決まってたからすぐに」
見られたんだろうか。それとも見られてないんだろうか。ドキドキしながら、ちょっと探りを入れてみる。
「何て書いたの?」
「それは秘密。ひなたは?」
「・・・秘密」
どうやら見られてはいなかったらしい。いや別に見られたって困ることじゃないんだけれども、いわゆる自分の『願い事』を誰かに見られるのは恥かしい。こんなふうに飾り付けしたら他の人にも見られるじゃないかっていうツッコミはとりあえず却下。フクザツな乙女心ってやつですね。
「下の方はいっぱいだし、上のほうにつけようか?」
子供が多いせいか、笹の下の方はすでに短冊がたくさん飾られている。上のほうはまだだいぶすいているのだが、
「自分でつけるもん」
なんとか背伸びしてできるだけ上のほうにつけようとする。一の身長ならば造作もないことなのだが、背伸びしてまで自分で飾り付けしようとするのは、自分の願い事だから自分でつけたいのか、はたまたそこまでして彼に願い事を見られたくないのか、果たしてどっちなのだろう。
なんとなく後者のような気が激しくしてきたのだが、まあ気にしない方向で一も薄紫の短冊を飾り付ける。彼が手を伸ばしてギリギリの、笹の一番上のところに。これならば彼女に見られることもあるまい。
「ひなたのはコレ?」
意地悪く、一がピンク色の短冊をひょいと手に取った。
「だ、ダメ、ちょっと長瀬君ッ!」
「なんてねー」
「・・・ッ!!意地悪っ!!」
ペンを一に押し付けると、ぷいっと背中を向けてひとりで歩き出してしまった。ぷりぷりと機嫌を損ねて歩き出したひなたを追って、一もまた謝りながら後を追う。
「ごめん、だからそんな怒らないで。お茶おごるからさ」
「・・・本当に?」
「本当ホント」
「じゃあ、こないだできたお店のアールグレイ!」
「かしこまりました織姫さま」
・・・なんて。ゴメンなさい、本当は見てたんだ、ひなたが何を書くのか。いやだって気になるじゃん?俺のこと、まだ名前で呼んでくれないし。本当は嫌われてるんじゃないかなあとかいろいろ思ったりするんだけど、とりあえず嫌われてはいないみたいで、ちょっと安心した。
ただ、まだひなたにとっての俺ってお茶友達ってカンジみたいなのが切ないんだけどね。
まあいいさ。その短冊に書いた願い事、隠さないで堂々と教えてくれるようになってくれるのを待つから。・・・ひなたと同じことを俺も書いたって言ったら、どんな顔をするんだろうね?
「・・・七夕に雨が降るのは、織姫が流す涙なのです。」
外に出て傘を差しながらひなたが呟いた。それはプラネタリウムでのナレーションにあった言葉だ。
「気になってたんだけど・・・織姫って哀しいのかな。一年に一度しか逢えないから、哀しくて泣くのかな。それとも一年ぶりに逢えたから、嬉しくって泣いてるのかな」
それは、織姫にしか解らないことだ。ただもし自分だったらどうだろう。今はそれこそ学校で毎日顔を合わせているけれど、年に一度しか逢えないなんてことになったら。
「うーん・・・どうだろうね?ただ俺だったらさ」
一も傘を差しながら、答えるとも呟いているとも取れるふうにぽそりと言った。
「毎日逢えたとしても、年に一度しか逢えないとしても、ひなたを好きな気持ちに変わりはないよ」
「え・・・っ」
「どうかした?」
「え、あ、その・・・なんでもないっ」
急に硬直してしまったひなたを振り返ると、慌てて彼女が取り繕った。聞こえなかったフリをされなかっただけでもありがたいというものか。
「そんな早足だと、濡れた道じゃ転んじゃうよ」
ぎくしゃくと傘を持たない手を振っていたのだが、それをひょいと一が捕まえて引き寄せた。
「長・・・」
傘の向こうで、ふたりの影が重なった。
「・・・みんなが見てるわよっ」
「傘で見えないって」
顔を真っ赤にして抗議したひなたを、一がとろけるような笑顔で瞬殺する。
・・・そういえば最初もクリスマスの公園だったし・・・なんていうか・・・あれっきりそんな素振りを見せなかったから油断してたっていうか・・・。釈然としないのだが、一のその笑顔の前ではひなたは手も足も出ないのだ。
「・・・アールグレイに、桃のタルトも」
「はいはい」
きゅうっと小さく握り返してきたひなたの手を、一の大きな手がそっと包んだ。
ふたり別々の傘をさして手をつないでいたら、手だけ雨に濡れてしまうのだが、それもたまにはいいだろう。つないでいる手から伝わるぬくもりは、こんなにも熱いのだから 。
終
2002.07.05
■後書■
本編から1年後くらい。がんばれ長瀬!