緑影騎士外伝「黒髪の騎士」
2.
……トン、トン、トン。
ジルベール国王の部屋で控えめな規則正しい音が響いた。それはドアをノックするにしてはあまりにもささやかな、けれど確かに故意に発せられたその音は、ウュリア・シルヴィアの指先が奏でていた。
……トン、トン、トン。
幼馴染たちが向かい合う机を指先でトントンと叩いているのだった。この部屋には他にふたりいるはずなのに、その場は何故か沈黙が保たれており、トントンという規則正しい音だけが妙に大きく聞こえてくる。
「はぁ……」
ウュリアと向かい合うリーヴ・アープが顔を見合わせてふたり揃ってため息をついた。そうしてやれやれとばかりにウュリアが咳払いをする。
「……陛下。陛下」
この部屋の主であるジルベール三代目国王ルークは、呼ばれたにも関わらず遠くを見つめたままぼんやりとしている。
……これが会議中の国王の態度か?
リーヴと目配せしあって、ウュリアは再度繰り返す。
「陛下。ルーク陛下。……陛下」
………………。
三度、ウュリアはリーヴと目配せした。無言で頷くリーヴにウュリアはしっかりと頷き返し、おもむろに拳を握り締めた。
「いい加減にしろルーク!」
ズガンっ!!
「いってぇ、何すんだよ!」
「何すんだよ、じゃないだろ。会議中にぼけーっとしてるお前が悪い」
ぶーたれるルークを放っておいてウュリアはさっさと掛け直した。ルークは仮にも一国の王で、一応ウュリアの主君でもあるのだが(一応?)、この場合はぶん殴ったって罪にはなるまい。
「……で、本題に戻るんだが……」
リーヴが言いかけた端からすぐに上の空になってしまったルーク陛下に、四度目配せしてリーヴは書類を机の上に投げ出し、ウュリアはだめだこりゃと天を仰いだ。
「……本題に入る前にはっきりさせておこうか。ルーク、お前何かあったのか」
何となく聞かないでも解るような気がしないでもなかったのだが、この場はリーヴに任せてウュリアは聞き手に回ることにした。こんな無駄な時間があるのならさっさと会議を終わらせて彼女に逢いたい、なんて思ったことはふたりには内緒の方向でお願いします。
「……ついこの前なんだが……ちょっと馬で出たときに、ある少女に逢ったんだ……」
ほーらやっぱりなー。そう思いつつリーヴとふたりため息をつく。ルークはウュリアと違って色恋沙汰には不器用だったから、遠くから眺めるだけで終わってしまったりなんてことはザラなのだ。……で、つい相手のことを想ってぼんやりしたり……なんてこともまた然り。さすがに互いに長い付き合いなのでそれだけ聞けばどういった状況なのかだいたい把握できる。
「はー……。で? どこの少女なんだそれは」
ガックリと肩を落して一応聞いてみようか、というのがミエミエなリーヴの問いに、非常に言い辛そうにルークはボソリと呟いた。
「……モルタヴィアの……多分、貴族の娘……」
…。
……。
………。
「はい!?」
い、今何って!? 思いっきりリーヴとハモってしまったのだがそんなふたりに構う様子もなく……いや多分自分のことで手一杯で気づいていないだけなのだろうが、ルーク陛下は淡々と続けた。
「多分、妹と同じくらいの歳だと思う……そりゃ歳が違いすぎるのは解って」
「ちょっと待てお前、モルタヴィアってモルタヴィアって!?」
「何考えてるんだ、ひとりでっ敵国だぞ、わかってるのか仮にも国王がー!!」
ルークの台詞にかぶってウュリアとリーヴが同時にまくし立てた。それを真っ向から受け止めた国王陛下の言葉がこれであった。
「同時に言われても解らん……」
「だーかーらー!!」
再びハモったリーヴとウュリアはガックリと肩を落した。何やってるんだろう俺たちという思いがふたりを独占していたかどうかは定かではない。
「……偵察に行ってきたんだよ……その、自分で見た方が早いから……」
そりゃそうかもしれないんだが、一応彼の『騎士』であるウュリアの立場も考えてくれるとありがたいのだが。騎士のいないところで単独行動に出た国王が討ち死にしたなんて醜聞には耐えられない。
(もうやだ、俺)
詰問をリーヴに任せてウュリアは心の中でひとり泣き言を吐いた。何でこんなヤツに仕えてるんだろう俺という思いと、敵国の少女に心奪われてしまった幼馴染の胸中はいかばかりかという思いとで、考えがさっぱりまとまらなくなってしまい、とりあえず椅子に掛け直したリーヴに倣う。
「直に見てきてどうだった、向こうの様子は」
立ち直りの早いリーヴが早々に本題に入る。
「ああ。民は長い戦と独裁政治に疲れているし、兵士たちも絶対的な存在だったファリウス王が病で明日をも知れぬ状態とあって、相当揺れてるな。向こうと連絡が取れ次第、今すぐにでも攻撃を仕掛けられる。……隙だらけだ」
百年にも及ぶこの長い戦いに疲れ、無意味さを知ったモルタヴィアの民たちが内密にジルベールに協力を申し出てくれている。さしもの軍事国家モルタヴィアも、内外から同時に攻められればひとたまりもあるまい。
「連絡を待つだけ、か」
腕組みしてウュリアはふと思った。
ルークの今度の想い人はモルタヴィアの貴族の娘であるという。もしファリウス独裁政権支持派の貴族であれば、この最終決戦の混乱に乗じてモルタヴィアの民に襲撃されるかもしれない。そうならないようにするには、とにかく早く決着を着けなければならない。混乱が起きる前に、先鋒を受け持つであろう自分がファリウスZ世を討てばいい。そうすれば無駄に血が流れることもないであろう。
「ルーク」
これは他人事ではない。もし自分がルークと同じ立場であったら?
自分がモルタヴィアの騎士だったとしても。
彼女がモルタヴィアの姫君だったとしても。
きっとそれでも恋焦がれるに違いないのだ。
「今はただ、この長すぎた戦を終わらせることだけを考えろ。俺たちは全力でお前の指揮に従うまでだ。戦が終わればお前が誰とともにいたって俺たちは文句は言わないさ」
できるものなら、ルークの想いを叶えてやりたい。そのためにはまず、この戦に勝たねばならない。すべてはそれからなのだ。
「……そうだな」
ウュリアの真意を汲んだのか否か、苦笑してルークは目を閉じた。
「では連絡が入り次第総攻撃をかける。どこに密偵がいるともしれん、ルークは普通を装ってくれ。ウュリアはいつでも出撃できるように兵士たちに指示を」
「……お前は?」
「……体調を整えておくさ」
リーヴの言葉に、ルークとウュリアが笑った。
ガチャリガチャリ、金属がぶつかり合う音でベルティーナは目を覚ました。
「……何?」
鎧や帷子の音なのであろうが、ベルティーナの寝室は王宮の奥にある。兵士たちが訓練をしているのだとしても、その音がここまで聞こえてくることなどありえない。
「……シルヴィア……?」
急に胸騒ぎがして、寝衣の上にそばにあった上着を羽織ると、裸足のままでベルティーナは部屋を飛び出した。
「……ベルティーナ!?」
「ルーク兄さま!?」
部屋を出てすぐに鎧を着込んだルークに遭遇した。さっきの音はこれだったのだろう。そしてすぐに理解した。夜も明けやらぬこんな時間に戦の準備だなんて。
「……兄さま」
「起こさないで、顔だけ見ようと思ったんだが」
昨夜モルタヴィア側から連絡が来たのだった。ベルティーナに心配をかけまいと起こさずにおくつもりだったのに、カンのいい妹姫は自分から起きてしまったのだ。ルークが困ったように笑った。
「……行くのね?」
「ああ、行ってくるよ」
「無事に帰ってきて下さるのよね?」
「……何も心配するな」
今はただそれだけしか言えない。ルークはベルティーナの頬にそっと口づけて抱きしめた。
「……みんなは?」
「ウュリアは遊撃隊として先に出陣するから、そろそろ準備が終わってリーヴに魔法を受けてるところじゃないかな。多分一緒にいるはずなんだが」
「ありがとう兄さま!」
場所も聞かずにベルティーナは駆け出した。ひとり取り残されたルークはぽつーんとしばらくその場に突っ立っていたのだが、ふと思い出したように呟いた。
「兄よりもやっぱりそっちがいいのかぁ……」
直接本人たちから聞いた訳ではないが、何となくは解る。
ルークは寂しそうに、笑った。
駆け出したベルティーナはバルコニーに向かっていた。いつもそこからウュリアが兵士たちを訓練しているのを見ていた。準備を整えてリーヴから魔法を受けているというのなら、きっとそこにいるはずだ。
「シルヴィア!!」
バルコニーに出るなり叫んだ。十数人の兵士たちの中に、黒髪の騎士を見つけて、ベルティーナは少しだけ安堵する。
「姫!?」
リーヴから防御の魔法を受けていたウュリアは、驚いて顔を上げた。今日出撃することはベルティーナには言っていない。兵士たちにも数時間前に告げたばかりであるというのに、何故彼女がここにいるのだろう。そして、寝衣姿のままであることに気づいて、慌てて駆けつけてくれたのだと知る。
まだ日も昇らぬこの時間、肌寒いはずなのだが高揚して思い至らないベルティーナは息を整えて、再び叫んだ。
「シルヴィア!!」
髪も梳かぬままの乱れた姿でバルコニーで叫ぶ姫に、黒髪の騎士は姿勢を正す。
「必ず……必ず生きて戻りなさい! そしてベルティーナ・ジルベールの名に於いて命じます、あなたの指揮下で死者を出してはなりません! 解りましたね!?」
ウュリアの隊は先鋒を受け持つ。一番激しい戦いを強いられることになるのに、それを全員無事で戻れとは。だが解っている、それが彼女の願いであることは。誰ひとりとして死んでほしくないと、無事に戻ってきてほしいという心からの願いであるということは。
「……シルヴィアの名にかけて誓います。必ずや再び姫のもとに」
ウュリアの敬礼に、兵士たちが一斉に喚声をあげた。
「行くぞ!」
馬上の人となり、ウュリアは兵士たちの指揮を執った。
兵士たちを率いて遠ざかるウュリアをじっと見つけていたベルティーナだったが、ふと視線を感じてそちらを見た。
まだその場に残っていたリーヴがこちらを見上げて微笑んでいた。
ベルティーナも、そっと微笑み返した。
「……私も行ってくるよ」
「どうか無事で……」
「私は大丈夫だから、あのバカのことでも心配してやってくれ。まあ殺されたって死なないとは思うがね」
「リーヴ兄さまったら」
「それよりも部屋に戻って着替えなさい。我々が戻ったときに風邪をひいていたのでは宴に出られないよ」
ようやく自分の姿に気がついたベルティーナは、顔を真っ赤にして部屋に向かって走り出した。
「さて、私も準備しないとな」
金色の魔道士は明るくなってきた東の空を見つめて呟いた。
必ず生きて戻りなさい!
そう言った彼女の姿を思い出す。
乱れた姿で今にも泣きそうなくせに、どこまでも凛として朝陽のように眩しい彼女。
何があっても生きて戻ろう。
もう一度彼女に逢いたいから。
そしてそのときこそ。
意を決してウュリア・シルヴィアは手綱を握り締めた。 back menu next home