緑影騎士外伝「黒髪の騎士」

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3.

 城壁の向こうから聞こえてくる喚声に、ベルティーナはハッと顔を上げた。日はもう西に傾き、その空を茜色に染め上げている。自室にこもってひたすらにみなの無事を祈っていたベルティーナは、遠いその声に導かれて部屋を飛び出した。
 帰ってきた、帰ってきた、帰ってきた   
 王宮の外まで迎えに行きたかったのだが、それよりも早くその姿を見たいがために、王宮のバルコニーに出た。彼女の足では王宮の外まで走るよりも、ここに来た方が早く彼らを見ることができる。
 喚声とともに凱旋を果たしたジルベール軍が誇らしげに王宮へ向けて馬を進めていた。国王ルークと魔道士リーヴ・アープを先頭に、列をなす兵士たちにジルベールの民たちが集まってきていた。列のほぼ中央に、恐らくはモルタヴィアの要人を連れているのであろう荷馬車があり、それを警護するようにウュリア・シルヴィアが付き添っていた。だが何やら大きな功績をあげたらしい黒髪の騎士の周囲には民衆だか若手の兵士だか、とにかく大勢の人が集まっていてなかなか前進することができないでいる。
 ひたすらにバルコニーからその様子を見ていたベルティーナだったが、彼らが王宮に近づくにつれて   より近くでウュリアを見るにつけて、彼が大勢の人に囲まれているのを見て、とても……とても彼が遠くへ行ってしまったような気がして。
 王宮に戻ってきた彼らに見つからないように、こっそりと部屋に戻ってしまった。


 その日の夜、王宮の謁見の間で宴が行われた。もちろん国中がそうなのだが、王宮内では国王をはじめ親ジルベール派だったモルタヴィアの貴族や、特に功績をあげた兵士たちなどが顔を合わせていた。
 ジルベール軍は王宮に戻ってから傷を負ったものはリーヴやサウィン、ベルティーナらによって治療を受け、軽傷のものは自分で手当てをして特別に解放された王宮地下にある大浴場で身を清めた。そして特別に王宮での宴に招待されなかったものは庶民と一緒に飲めや歌えやの宴に紛れ込んでいき、誇りと安堵に満ちた夜を過ごすことだろう。
 国王により特別の招待を受けたものは。
 敵王ファリウスを討ったシルヴィアは正装して現れ、その威風堂々たる姿にその場にいる者たちは感嘆した。後方援助と兵士の治療に回っていたアープもまた長い金髪をひとつに束ね、やはり正装して現れたのだがこういった場が苦手らしく始終国王の傍らにつきそったままだった。当の国王ルークはといえば、やはり正装していつもならば嫌がる王冠もきちんと被って玉座に掛けている。また協力してくれたモルタヴィア側の者、よく戦ったジルベールの兵士たちもそれぞれに正装して、謁見の間は華やかな物語の一幕のようであった。
 青の姫君ベルティーナもその華やかさを際立たせるように、美しい青いドレスに頭上にはティアラを輝かせていたのだが、その面持ちはどこか沈んだ様子だった。
 その場にいる中で、ただひとり戦場を知らぬ者だったから。
 社交辞令としてモルタヴィアの貴族たちにも挨拶して回り、また兵士たちの話にも耳を傾けていたのだが、やはりつきまとう疎外感だけは拭えなかった。
 否   
(違う、そうじゃない……)
 宴の場でも、やはりウュリアは常に大勢の人に囲まれていた。誰もが英雄の話を聞きに、あるいは誉れ高き英雄に触れようと集まってくる。独裁王を討ったときにその場にルークもいたのだが、やはり国王相手にそれはためらわれたのか、その分余計にウュリアの回りはひとだかりでベルティーナは近づくこともできなかった。
(なんだか、遠い……)
 帰ってきてと、そう言った。必ず戻ると約束してくれた。
 その誓い通りに彼は帰ってきたというのに、なんと遠く感じることだろうか。
 いつものように、あなたから来てはくれないのね。
 それはベルティーナの、少女としてのわがままだった。

 国王主催の謁見の間における宴では、必ず舞踏会が行われる。自分で踊るのはそれほど得意ではないが、みなが踊るのを見るのが好きというルーク陛下の控えめな趣味のためである。だいたい4〜5曲踊って、それで宴はお開きになる。
 貴族も招待されているとはいえ、やはり圧倒的に婦人の少ないこの宴ではペアを組む相手がおらず、そのまま談笑を続ける者も多かったのだが、黒髪の騎士だけはご婦人たちにひっぱり回されて踊り続けていた。ウュリアは剣術のみならず、ダンスも軽やかに踊るので正装した彼が踊る姿は非常に優雅で、貴婦人ならずともため息をついたほどだった。さすがに幼馴染のルークやリーヴは苦笑しながら見守るに留まったのだが。
「リーヴは踊らないのか?」
 隣に付き添う金色の魔道士に、国王がこっそりと話し掛ける。
「私がこういうのが苦手だと知ってるだろう。……それより陛下は踊られないので?」
「なに、私は見るのが好きでね。最後の曲だけ踊れればいいさ」
 ひそひそと小声で話し合うふたりの英雄が苦笑する。
 そしてふと、リーヴは視線だけでベルティーナを捜し求めた。青い美しいドレスの裾がひらひらと華麗に舞うその姿は、どこにいたとしてもすぐに見つけられる。兵士たちの憧れの的でもある青の姫君は、やはりウュリアのようにひっぱり回されていた。
 ……が。
 リーヴは彼女の青い瞳が、いつでも黒髪を追い求めていることをすぐに感じた。兵士と踊ろうが、貴族と踊ろうが、その瞳は指先はただひとりだけを追っているのに。
(あの、バカ……)
 その曲はもうじきに終わる。そうしたら次の曲で宴はお開きになる。この宴の間中、ベルティーナに近づきもしないつもりなのだろうか。
 楽師が最後の旋律を奏でた。踊っていた男女がそれぞれ向かい合って優雅に一礼する。そうして次のパートナーを求めて周囲を窺う。
 ベルティーナの周囲には、誰も来ない。宴の最後の曲はいつも兄王と踊ると決まっているからだ。結局話すどころか近づきもしなかったなと、人知れず小さくため息をついた時だった。
「……ためいきですか、姫?」
 間近に聞こえたその声に、ベルティーナが小さく身を強張らせた。
「そんなに驚かなくても」
 黒髪の英雄が、ベルティーナの目の前で苦笑している。驚いた訳じゃ……いや、驚いたのだけれどそれは嬉しかったからっていうか、だって今日はずっと近づいてもくれなかったのに。
「シルヴィア……っ! こ、これは……その」
「最後の曲を、私と一緒に踊っていただけますか?」
 何やら言いかけたベルティーナにおじぎをして、ウュリアはダンスを申し込んだ。思わぬ申し出にベルティーナは、ウュリアからやっと話し掛けてくれたとか正装した彼ってやっぱりステキだなあとかでも最後の曲はいつも兄さまと踊ることになってるしなあとか考えたのだが、最終的には顔を薄紅に染めて黒髪の騎士の手を取ったのだった。
「……私でよろしければ」
「光栄です」
 彼女の手に口付けると、静かな旋律に合わせてふわりと優しく踊り出した。
 その様子を見たその場にいた全員が、あっと一瞬動きを止めた。
「ベルティーナさまがウュリアさまと?」
 最後の曲はいつも国王陛下と踊っているはずなのだが、その暗黙の了解を知らぬ訳でもないのに、騎士が王妹と踊っているなんて   そんな眼差しで見ていたのだが、やがてそれらは感嘆の眼差しに変わる。正装した雄雄しい騎士と、美しい姫が舞う姿は、誰よりも優雅で華麗で、何よりも絵になった。
 みなが我を忘れて踊るふたりを見つめる中で、国王は中途半端に浮かせていた腰を再び玉座に下ろすと、ふてくされて頬杖をついた。
「……してやられたな」
「いつも私と踊るって決まってたのになあ」
「そんなにすねるくらいなら、国王命令でここからあの無礼な黒髪の騎士を追放すればいいだろうに」
 リーヴのあまりにもまっとうな、しかし乱暴な意見にため息をついて国王陛下はこうお答えになられたのだった。
「……それができれば苦労ないだろ。見てみろ、あのベルティーナの顔を」
 頬を紅潮させて踊る彼女の瞳の、なんと輝いていることか。
「寂しいよなー……」
「……そうだな」
 ガクリ肩を落す国王の隣で、リーヴは苦笑した。
 やがて最後の曲が終わると、一斉に拍手が起こった。まさかそんな拍手を受けるとは思っていなかったベルティーナは内心ドキドキしながらも、外から見た分にはごく自然にウュリアにおじぎを返していた。まるで動じていないらしいウュリアは、再びベルティーナの手をとって優雅に口付けた。
「ごきげんよう、姫」
 くしゃり、と口付けながらそっと渡された小さな紙。
 ベルティーナは誰にも見つからないように、こっそりと隠したのだった。


『また後ほど』
 短く、それだけ書かれた紙を何度も読み返しては胸に抱いたり、握り締めたりしながらベルティーナは自室で落ち着きなく行ったり来たりしていた。
 また後ほど   それはどのくらい後なのだろうか。宴がお開きになった後もウュリアは常に誰かに話し掛けられており、近づくこともできなかった。ベルティーナは最後の曲をウュリアと踊ったことを冷やかされたり追求されたりしたくなかったので、早々に国王と共に退室してしまったので、あれから顔を合わせてもいない。どこかで待ち合わせるにしても場所も時間も書いていないし、どうしたものかと結局自室に戻って、あとは寝るだけという準備までしたのだけれど。
 だからって、眠れるはずもない。高鳴る鼓動は収まる気配を見せないし、火照ったままの顔はまだ熱い。窓から入る月明かりに誘われて夜を照らす月を見上げても、一向に落ち着けない。
 どうしてこんなにもドキドキするんだろう。ただ一緒に踊ったというだけなのに、ただ後でまた逢おうと言われただけなのに、どうして……。
「なんで私ばっかりがこんなにドキドキしてるのよ……っ!」
 別れ際のやけに落ち着いたウュリアを思い出して、急に腹が立ってきたベルティーナは思わず口にしていた。
 ……コンコンッ。
「は、はいっ!?」
 不意を突かれるように扉をノックされて、ベルティーナはひっくり返った声で返事をしてしまった。今にももつれそうな足で扉に駆け寄って、鍵を開ける。
「夜分遅くに申し訳ありません」
 ……そこに、その人はいた。正装のマントや飾りは外して多少身軽にはなっているものの、彼の雄雄しさを損なわせることはない。
「……シルヴィア」
「どうしても今宵中にお伝えしたいことが」
「……どうぞ、入って」
 静かな王宮内に足音を響かせることもなく、ウュリア・シルヴィアはベルティーナの部屋に入り扉を閉めると、その場に跪いた。
「……ウュリア・シルヴィア、無事戻りましてございます。隊に多少の怪我人がありますが、死者は出ておりません。ご報告が遅れて申し訳ありません」
 出陣前に誓ったことは、すべて守った。それを報告にきたのだ。
「……はい。よく無事で戻りました。そしておつかれさまでした」
 敵王を討ったのはシルヴィアであると兵士たちから聞いている。また、やはり先鋒を受け持ったシルヴィアの隊は激戦を強いられたのだということも。
「姫が我らの無事を祈ってくださったおかげでしょう」
 謙虚に頭を下げたシルヴィアを立ち上がらせると、ベルティーナは視線を泳がせ、やがて目を閉じて苦しそうに独白した。
「……私は周りが思うほど、できた人間ではありません……。みなが無事で戻ってくれればと祈っていました。それは本当です。でも、同時に思いもしたのです、せめてあなただけでも無事に帰ってきてくれればと……」
「姫」
「あなたさえ帰ってきてくれればなんて、酷いことを……!」
 今にも泣き崩れそうなベルティーナを支えると、ウュリアはまっすぐに彼女を見つめて、
「俺も……人々が思うほど勇敢な訳でも強い訳でもない……。もし本当にどうにもならなくなったらひとりででも取って返して、あなたを連れ去ってどこかへ逃げてしまおうかと……いったい何度思ったか……!」
 強く、強く抱きしめて、唇を重ねあった。
 月明かりだけが見守るその部屋で、どれだけの時をそうしていたのだろう。やがてどちらからともなく身体を離すと、揺れる瞳で見つめあった。
「……ラスト・ダンスには続きがあることをご存知ですか?」
 急に問われ、そんなものがあっただろうかとベルティーナが首を傾げる。
「俺が教えてあげますよ」
 返事を待たずにウュリアはベルティーナを軽々と抱き上げた。あっと顔を赤らめたベルティーナが、彼の腕の中でうつむいて呟いた。
「……敬語はやめて……あと……私のこと、名前で呼んで……」
「俺のことも名前で呼んでくれるなら?」
 意地悪く笑ってウュリアはベルティーナを静かにベッドに下ろした。そんな横顔さえも見惚れるほどに魅力的だなんて、卑怯だわと思いつつもベルティーナはそっと、久々にその言葉を口にした。
「……ウュリア」
「ベルティーナ……」
 優しく唇を重ねあわせて、そっと指を絡ませた。

 夜の闇からふたりを守るように、月だけが静かに輝いていた。

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