緑影騎士−竜騎士の降臨−
26.
「監視役の変更を求める」
アレクへの報告時──ラスフィールは開口一番、そう訴えた。
泣き出したルティナに背を向けてラスフィールが作業に戻った直後、後を追うように戻ってきたルティナが体調不良を訴えた。畑の主人に事情を説明して作業を切り上げさせてもらい、予定よりも早い時間ではあるが王宮に戻ってきたのである。
作業後の報告はいつもルティナとラスフィールは別々に行う。アレクの執務室に入ったルティナはいつもより短い時間で退室し、部屋の外で待っていたラスフィールの顔を見ることもなかった。入れ違いで入室したラスフィールは、机の上に何やら器具を並べていたアレクに詰め寄ったのである。
「は? お前、自分の要求を通せる立場だと思ってんのか」
「罪人に監視をつけるのは解る。だがあの少女である必要はないだろう。彼女はまだ子供だ。目の前で親を殺した相手と一緒にいることがどれだけ心に負担を──」
「てめえが殺した相手の家族に見張られるのが嫌なだけだろ」
「そうではない」
怒りや憎悪を向けられるのなら、まだ幾分かは気が楽だろう。刃を向けられるのであれば、甘んじて受けよう。けれど彼女はそうではない。一方的に傷つき、ラスフィールと一緒にいることで非難され、不名誉な噂を立てられている。まだ年端もいかぬ少女が何故そんな目に遭わなければならないのか。
無表情のまま冷たい怒りを向けてくるラスフィールをちらりと見て、アレクは深いため息をついた。
「これはあいつの責任なんだよ。監視役を変えるつもりはねえ」
「子供に取らせなければならない責任とは何だ。私と一緒にいることで彼女がどんな仕打ちを受けていると──」
「んなもん毎日の報告で聞いてる。ルティナも承知の上だ。さっさと今日の報告をしろ」
「承知の上? ならば子供にそんな責任の取らせ方をするこの国の在り方を──」
「……ったく、うるせえな」
ラスフィールは決して引き下がろうとはしない。それはともかく、国の在り方を問われれば、それは引いては国王への批判である。アレクとしても黙ってはいられない。
アレクは舌打ちをして立ち上がると、机に片手をついて、ひらりと机を飛び越えた。音も立てずに着地して、瞬きする間もなくラスフィールとの距離を詰める。
(速い……!)
反論を許される立場でもないのに物言いをしたのだ。殴られても文句は言えないと、ラスフィールはその場から動かなかった。だが飛んできたのは拳ではなかった。
「忘れたとは言わせねえぞ」
アレクの手がラスフィールの首に巻かれていたスカーフを剥ぎ取り、隠されていた傷が露わになる。反射的にラスフィールが手で首を覆い隠し、一歩下がった。
主君ロゼーヌが討たれ、殉ずるために刃を喉に突き立てた時の傷だった。忘れるはずもない。一瞬だって忘れたことなどない。
「ルティナがお前を助けようとしてた時、俺は止めた。どうしても助けたいならルティナが責任を取れと約束させて、意識のないお前を運ぶのを手伝った。だからこれはあいつの責任なんだよ」
「……何を、言って……」
「戦いの後、女王の遺体を抱えて消えたお前が復讐に戻ってくるんじゃねえかって、ひとりで探しに行ったんだよ。遺体を抱えてる以上そう遠くは行けねえだろうし、まずはどこかに遺体を隠すか弔うかするだろ。それで探し回ってたら、墓の前に倒れたお前とルティナがいるじゃねえか。よくよく見ればせっかく自害しようとしたお前を回復魔法で治癒してるだろ。ふざけんなと思って俺が息の根を止めてやろうとしたらルティナが泣いてすがったんだよ。殺さないでくれってな」
ラスフィールは己の喉を突いて、その場で意識を失った。目を覚ましたのは見知らぬ民家で、そこにルティナがいた。意識を失っている間のことはルティナが何も言わなかったため、ラスフィールは知らない。
「何故……そんな……」
「知らねえよ。お前が目を覚ましてすぐ出て行ったから不問にしてたが、戻ってきたからにはそうはいかねえ。おかしなことをしないようにルティナにお前を見張らせる。お前が何かやらかしたら全部ルティナの責任だ。一緒にいることでルティナに何かが起きたとして、それも全部責任の内だ。
もう一度言う。これはあいつの責任だ。監視役を変えるつもりはねえ」
ラスフィールの望まぬところで命を救われ、そのために知らぬところで約束が交わされ、ジルベールを立ち去ったことでこれからも続くはずだった少女の平穏な日々が、予想外の帰郷により脅かされることになってしまった。
(こんな死に損ないの亡霊のために──未来ある少女を苦しめていいはずがない)
首から手を離し、アレクと正面から向かい合う。
「私を生かした責任だというのなら、今すぐ私を処刑しろ。それで彼女の責任はもう問われまい」
「この……っ」
苛々した。かっと頭に血が上った。
澄ました顔をしたラスフィールの胸倉を掴んで、アレクは冷えた蒼い双眸を睨み付ける。
「助けてもらった命を粗末にするのも、助けてもらった礼も言えないのも、俺はどっちも大嫌いなんだよ!」
死にたいなら死んでくれた方がアレクにはありがたい。面倒ごとがひとつ減る。だがこれは、そういう問題ではない。ルティナは命懸けでラスフィールの命を救ったのだ。親の仇であることはもちろんだが、女王は反乱軍に討たれ、翡翠騎士団長であるラスフィールは国賊の筆頭だ。それを助けたとあれば同じように国賊と見なされるだろう。にも関わらず、アレクの制止を振り切って助けたというのに──ルティナの覚悟に対して、失礼にも程がある。
「すでに罪に汚れた命だ。主君も守れず、部下を見捨てるような私に生きる価値などない。この命が彼女の枷なら、こんなもの──」
「人の話を聞いてんのか!?」
我慢の限界だった。
アレクが握り締めた拳を振り上げる。
ラスフィールは振り下ろされる拳を受け入れようと、静かに瞳を閉じた。
噛み合わない会話は、これで打ち止めになるはずだった。
「何をしてるの!?」
割って入った少女の驚きの声はアレクの拳を宙に縛り付けた。その隙にルティナがラスフィールを庇うようにしてアレクと向き合う。ルティナの明るい茶色の瞳がアレクの濃茶の瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
アレクは拳を下ろして大きなため息をついた。
「自分のせいでルティナが監視役をやらなきゃならねえなら、いっそ殺してくれだとよ。どうする、ルティナ。こいつを処刑して監視役を辞めるか」
アレクの言葉に血相を変えてルティナが振り返り、ラスフィールの両腕を掴んで揺さぶった。
「勝手なこと言わないで! これは私の仕事なの、私がやるって言ったのよ!」
「私を助けたことで君が苦しむ必要はない。どうせ死ぬはずだった命なのだから──」
「ふざけないで!」
それは悲鳴にも近かった。
「ちっとも部屋から出てこないから、何をしてるのかと思ったら! アレクさんもアレクさんでしょ、さっさと報告だけさせて部屋から追い出せばいいじゃない!」
「あー、俺はそうしたいんだけどよ……」
とばっちりが来るとは思っていなかったアレクは盛大なため息をついて肩を竦める。
「面倒くせえな。このままルティナが監視役を続けるのか、それともそいつを処刑するのか。お前ら二人で話し合って決めろ」
「今からでも私を処刑すればいい」
「だから勝手なこと言わないでって言ってるでしょ!?」
「うるせえな、よそでやれ。俺は忙しいんだよ」
アレクがしっしと手で追い払うと、言い合いながらルティナがラスフィールの腕を引っ張って部屋を出て行った。
乱暴に閉められた扉を見つめながら、アレクは重ねてため息をつく。
ルティナが父親を目の前で翡翠騎士団長に斬殺され、たったひとりの身寄りを失い、居場所がないから仲間にしてくれと反乱軍を訪れたあの日──。
痩せこけた小柄な少女は、反乱軍の協力者である女性に連れられてやってきた。女性の背に隠れるようにして、怯えながら上目遣いにアレクを見ていた。
ディーンとエリスは不憫な少女を受け入れようとしていた。アレクは少女がまだ未成年であることを理由に反対するつもりだったが、少女の目を見て直感した。
(駄目だ、これは誰かが守らないと生きていけねえ)
本人は何もしていないのに、無条件で相手の加虐心を刺激する。
動物の群れでも何もしていないのに攻撃される個体がいる。人間で同じことが起きた場合──それが何の庇護も受けられない少女であった場合──悲惨な未来が容易に想像できる。まして誰もが不安と不満を抱えている状況下では、そのはけ口にされる危険がある。
アレクはルティナを反乱軍の仲間として受け入れた。戦力にはならないこともあり、基本的にはエリスの手伝いをさせた。治癒魔法に興味を持ちエリスから学んでからは治療の手伝いもするようになった。それで少し自信がついたのか、表情が明るくなった。
母親を早くに亡くし家事を行っていたというルティナはよく働いてくれた。戦いが終わってからは主にディーンの補佐につけた。食事の用意や身支度など、主に身の回りの世話だ。
ルーク王の時代は専用の料理人や侍女がついていたのだろうが、現状ではそうもいかない。ディーンが王になったことを快く思わない者もいるだろう。そういった者を近づけさせないためにも、ディーンの周囲は信頼できる者で固めておきたかったこともあるが──ディーン自身に加虐心がないことと、ディーンのそばに置いておけば不埒な輩も手を出しにくいだろうという計算もある。
ただこれはあくまでもルティナの周囲を柵で囲って、敵が攻めて来ないようにしているだけである。万が一その柵を破って敵が侵入した場合、彼女に戦う術はない。
解決方法はルティナ自身が強くなるか、常にそばにいる守護者を見つけるかである。前者は相手に加虐心を持たせないようにすればいいのだが、よく食べ栄養が行き渡ったのか血色が良くなった彼女は年相応に可愛らしかった。加虐心とまでは行かなくても、非力な少女を力でねじ伏せて我が物にしようとする輩はいるかもしれない。後者は適任者がいない。
さてどうしたものかというときに、先日の竜の襲撃事件である。現れたのはエリスとリグルと、消息不明であるはずの翡翠騎士団長ラスフィール・アルシオーネだった。
ラスフィールに復讐の意志がないことは先の自害未遂で証明されており、少なくとも騎士であった時代は品行方正で知られている。主君ロゼーヌを討った反乱軍のリーダーであるディーンを王と認め跪いた。
落ちぶれたとはいえ騎士の誇りは捨ててはいないと確信して、王の命令という形でルティナにつけた。かつてはジルベール最強の剣士と謳われた翡翠騎士団長である。帯剣したラスフィールを相手に挑む猛者はそうそういない。番犬にはちょうどよかった。
絶対的な庇護を必要とする少女と、罪に汚れた番犬を合わせて市井に放り込んだ。
少女は自立できるのか。汚れた番犬を人はどう審判するのか。
アレクにとっても賭けだった。
「さあて、どう転がるのかは神のみぞ知るってな」
ただ、最後にはルティナに元気に笑っていてほしい。
アレクは椅子に掛けて机の上に並べた器具を組み立て始めた。