緑影騎士−竜騎士の降臨−

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40.

 戴冠式当日は滞りなく終了した。
 問題があったとしたら、前日の朝、今回の経緯について正式に発表された内容について、ラスフィールがアレクに噛みついたくらいである。
「何だこれは!」
 張り出されていたはずの告知書をアレクの机に叩きつけてラスフィールが睨み付けた。
 創世神話の魔王が現れ、翡翠騎士団長であったラスフィール・アルシオーネが竜を駆り戦った。しかしとどめを刺すことはできず、国王ディーンが父リーヴから密かに伝えられていた魔法によってその身を犠牲に魔王を封印した。国王ディーンの遺言により、側近であったアレク・シェイドが王位を継ぎ、魔王より離れるため国を移転する。また今回の功績により、ラスフィール・アルシオーネに恩赦を与える──
「何って書いてある通りだろ。お前はもう罪人じゃねえ」
「それもあるが、魔王を倒したのは私ではなく──」
「エリスが兄を殺したって国中に触れ回る気かよ」
 ぞっとするようなアレクの低い声にラスフィールはそこから先の言葉を失った。真実を公表すれば、エリス・アープは傷つくだろう。
 前日の会議での案ではディーンが封印した、とだけ発表するはずだった。それをわざわざラスフィールを巻き込んだということは。
「あの時私を追い出したのはこのためか」
「俺に王位なんざ押しつけやがって。てめえもしっかり巻き込んでやるからな。覚悟しやがれ」
 ざまあみろと言わんばかりに笑ったアレクに、ラスフィールは無言で項垂れるしかなかった。
 その後は何事もなく戴冠式は無事終了した。
 戴冠式翌日の昼食後にリグルとエリスは転移魔法でジルベールを発つことになり、それぞれに別れを惜しむなどしながら静かに過ごしていた。

   ***

 戴冠式翌日の朝食と昼食はエリスとルティナが一緒に用意した。食事の時以外はアレクは姿を見せず、リグルとラスフィールは最後の手合わせをしていた。
 昼食の片付けも終わった頃、リグルとエリス、ラスフィールとルティナが王宮の中庭に集まっていた。
 ディーンを飲み込んだ泥の沼は姿を消したが、大地を影のように黒く染め上げた。誤って触れないように、また目印も兼ねて影を覆うように小さな祠が建てられている。
 リグルとエリスは祠の前で目を閉じ、無言で祈った。
「アレクさん、遅いわね」
 ルティナが周囲を見回すがアレクの姿は見えない。エリスを見送るのに遅れるはずはないのだが、何か起きたのだろうか。
「リグル、元気でな。ギズン殿とガゼル殿、彼にもよろしく伝えてくれ」
「ラスも元気で。これから大変だと思うけど」
「……全くだ。今から先が思いやられる」
 表情が柔らかくなったラスフィールを微笑ましく思いながら、リグルが小さく笑う。
「おーい! 悪い、遅くなった」
 噂をすればアレクが手を振りながら小走りに駆けてくる。
「アレクさん、忙しいのにわざわざありがとう」
 手を振り返したエリスの元に真っ直ぐ駆けつけたアレクが、
「エリス、ちょっと手ぇ出せ」
 戸惑いながらも素直に両手を差し出したエリスの手の上に、小さな器を置いた。
「え?」
「開けてみな」
 やや平べったい容器の蓋をそっと開けると、軟膏のようなものが入っている。
「あれ……この香り」
 懐かしい、遠い日を思い出す。
 アレクと出会った翌日──わざわざアープ家を訪ねてくれた彼に、父リーヴがアレクの家で採れた花で作った芳香蒸留水の香り──
「リーヴさんに借りた蒸留器、返し損ねちまって。それでいろいろ試して一番香りが強く残るよう工夫して、そいつを蜜蝋で固めてある。よかったら使ってくれよ」
 照れくさそうに笑うアレクに、
「ありがとう、大事に使うわね……! 父さんの蒸留器はアレクさんが持ってて。父さんもその方が嬉しいと思うわ」
 軟膏の入った器を両手でぎゅっと包み込んで、エリスが嬉しそうに笑った。
「エリス」
 花がほころぶような笑顔のエリスを抱き寄せて、
「元気でな」
「……うん」
「もしあいつが嫌になったらいつでも帰って来いよ。大歓迎だぜ」
 耳元で囁いて、戸惑うエリスの額にそっと口づけた。
 エリスが驚いている内にアレクは一歩下がってルティナ達の隣に立つ。ルティナがにやにやしている気配がこれでもかという程に伝わってくるが、一切無視だ。
「エリス、じゃあ行こうか」
「そうね。じゃあ、そろそろ行くわね。みんな元気で。──風よ!」
 エリスが片手を上げて風を呼ぶ。
 リグルとエリスの足下から風が巻き起こり、二人を中心とした旋風となった。
 旋風の中で──不意にリグルがエリスの肩を抱き寄せた。
「リ……」
 唇に、柔らかい感触が降ってきた。
 風の中で重なり合ったままの二人の姿が、風と共に一瞬で消え去る。
 二人の姿も風もない、ただの風景を呆然と見つめる三人が一呼吸置いて状況を理解する。
「ちくしょおおお!!」
 アレクの叫び声と、ラスフィールとルティナの笑い声が青空へと吸い込まれていく。
 風は凪ぎ、声は消えた風を追いかけることはない。雲ひとつなく晴れ渡る青空だけが静かに声を受け止める。

 風と共に去った二人が移転したジルベールを訪れることはなく、新王アレク・シェイドはシルヴィアをぶっ飛ばさなかったことを生涯後悔したという。

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