真空の聲、静謐の旋律

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   16.

 ミクが聖ボカロ王国に戻ってから3ヶ月が過ぎた。
 ミクは大聖堂から孤児院へと戻りながら街の景色を見渡す。
 わずか3ヶ月である。何かが変わった訳でもない。だが、ほんの少しだけ注意深く見回してみれば、いろいろなことに気づく。
 ミクも旅に出るときに持っていた着火具は、現在国の許可を得た店でしか販売されていないが、誰でも購入可能である。それらは国に指定された工房で製造されているのだが、今思えばこれも魔術を使った道具である。他にも魔術を使ったであろう道具がいくつもある。
 魔術を使っていることと魔術師がくぽの名はどこにも残ってはいない。だが彼の魔術が人の役に立つことを証明するという志は遂げられたのだ。
 また普段は立ち寄らないような土産屋が立ち並ぶ商店街を見てみれば、聖女御用達の老舗アクセサリー店と看板を掲げた店があった。
 この国のあちこちに、ふたりが歩いた足跡が残っている。今まで気が付かなかっただけで、気をつけてみればこんなにも身近にふたりの存在を裏付ける痕跡が遺っている。
 孤児院に戻ると、みんなが口々に「おつかれさま」「おかえりなさい」と声をかけてくれる。
「ミク、おかえり! 遅かったね? また調べもの?」
 赤い髪をひとつに束ねた少女がミクに菓子を差し出しながら、自分も菓子をほおばった。
「うん、そう。持ち出し禁止だからねー。ついがんばっちゃって」
「大聖堂で歌った後ででしょう? 疲れない?」
「んー、大丈夫。調べるのに夢中になっちゃうから」
「そう? そんなに何を調べてるの?」
「ふふ、ひ・み・つ」
「何それぇ?」
 笑いながらミクは自分の部屋へと戻る。扉を閉め、大の字になってベッドに飛び込む。

 3ヶ月前   
 ミクはカイトと共に王国に戻り、国王・王妃・司教・騎士団長の前ですべてを報告した。
 魔術師が聖女を連れ去ることになった理由。
 禁を犯した神官、聖女の結界と森の出現。
 聖剣を携えて聖女を連れ戻すために旅立った者たちの末路、聖女の変異。
 そして、聖女と魔術師の結末。
 聖女が遺したペンダント。
 ミクの話を最後まで聞き届け   誰もが沈黙した。
 聖女は戻らなかった。
 今まで教会が差し向けた歌姫の実力を持つ者たちに課してしまった運命は、その場にいる全員の言葉を奪うのに充分だった。
 司教もまた先代の司教から伝えられた話との齟齬に困惑を隠せない。
 ひとつだけわかることは、聖女は永遠に戻らないということだった。
 重い沈黙を破ったのは国王だった。
 ミクに褒美を取らせるべきだと。そしてかつての聖女のように、大聖堂で歌って欲しいと   
 ミクはその申し出を断った。聖女は聖ボカロ王国で歌を志すすべての者にとっての憧れである。その聖女のように大聖堂で歌うというのはこの上ない栄誉だった。
 だがミクは、歌唱隊として歌うことは構わないが聖女の代わりにはなれないと断った。
 ミクは聖女の歌声を直に聴いてしまった。自分の未熟さを嫌というほどに思い知らされて、聖女を気取るほど厚かましくはなかった。
 その場にいる誰もが残念がったが、ミクはある決意をしていた。代わりに王国の書庫にある書物を自由に閲覧させて欲しいと願い出た。持ち出さないことを条件にミクの願いは聞き届けられ、毎日大聖堂で歌唱隊として歌っては夕方まで書庫にこもる毎日である。
 王国の書庫には膨大な量の本があり、かつては王宮の地下にあったものが大聖堂地下に移されていた。
 ミクは無数の本の山から、1ヶ月近くかけて目当てのものを探し出した。
 吟遊詩人マリスの楽曲が書かれた本である。
 本人がまとめたものなのか他の誰かがまとめたものなのかは解らないが、そこには多くの楽曲がまとめられていた。
 ミクがかつてレンへと歌った歌もそこにあった。今でも吟遊詩人たちが酒場で歌うような著名な曲もいくつもあった。
 ミクはそれらを書き移してはひとりで何度も歌の練習を繰り返していた。自分の夢のために   
 ミクは北の小国への慰問を国王に願い出た。200年前の事件の後も混乱を極め、ようやく内戦が終わったのは十数年ほど前のことである。近年聖ボカロ王国とも国交が樹立し、交易が始まったばかりである。
 まだ戦いの傷跡も生々しい北の小国で、親を亡くし辛い思いをしている子供たちのために歌を歌いたかった。
 ミクには聖女のような力はない。だが歌の力は確信した。歌には人の心を癒す力がある。
 いつかはそんな子供たちのために孤児院を設立したい。いったいどれほどの時間がかかるだろう。
 ミクはベッドの下に隠してある刀を取り出し、少しだけ鞘から抜いた。一点の曇りもない刀身がミクの顔を映し出す。
「……もう一度、強く抱きしめて……」
 ミクの歌声に反応して刀身が淡く光る。
 聖剣と聖女のペンダントは司教に手渡したが、がくぽの刀はカイトに黙っていてもらい、そのままミクが持ち帰っていた。
 歌声に反応する刃   もしかしたら聖女の聖剣とこの刀は同じ剣鍛冶によるものかもしれない。
 そんなことを考えながら、ミクは初めて聖剣を手にした時のことを思い出す。
 私を見つけて……。聖剣を通して聖女の意思を感じた気がした。
 あれはどういう意味だったのだろう。
 最初はまだ生きていることを主張しているのかと思った。がくぽは聖女の招待状だと言い、餌を引き寄せていると解釈した。
(そう……かな……?)
 見つけてほしい。たどりついて欲しい。その先に聖女は何を願ったのだろう。
 もし、自分だったら? ミクは想いを巡らせる。
(だんだん人の心を失くしていく……、記憶は残ってる……? 身体も人じゃなくなっていく……。自分を救いにきてくれたはずの人の命を奪う……。大切な人の目の前で……、その人がどんな想いで自分を見るのか……)
 ぞくりとした。冗談ではない。そんなふうになるくらいなら、いっそひと思いに死なせて欲しい。
(……!)
 刃に映った思い詰めた自分の顔に、ミクはハッとした。
 聖女は止めてほしかったのではないか。壊れていく自分を   自分ではどうすることもできない自分の暴走を止めてほしかったのではないだろうか。がくぽの前で人を喰っては水晶体に戻るのを繰り返してきたと言っていた。愛しい人の前でそんな姿を晒したくなかったのではないか。これ以上、愛しい人に心が抉られるほど哀しい瞳をさせたくなかったのではないか。
 もう聖女はどこにもいない。魔術師もいない。答えを知る者は誰もいない。
 ミクは小さくため息をついて刀を鞘に戻し、再びベッドの下に隠した。机の上に置いてあった白い石に口づけて、着替えて再び部屋を出る。
「ミクー、今度はお仕事ー?」
 赤い髪の少女がまだ菓子をもぐもぐとほおばっていた。
「うん、行ってくる」
「ミクは働きすぎー。少しは休んでるー?」
「ありがと。大丈夫だから」
 笑って出かけようとするミクに、少女が声をかける。
「がんばれ」
「がんばる!」

 ミクは酒場の小さな舞台で歌っていた。主に吟遊詩人マリスの歌を、時には流行歌も歌う。最初は酒場の常連客が聴いてくれた。今ではミクの歌を聴きにわざわざ来てくれる客もいる。客に紛れて青い髪の騎士団長が訪れることもあった。
 酒場で稼げる金はそう多くはない。孤児院を設立するには気の遠くなるような話だが、今はミクのできることを精一杯するだけだ。

 やがて正式に北の小国に慰問団の一員としてミクも参加することとなった。合唱とは別にソロの時間を得たミクは、自分で作った曲を歌った。
 吟遊詩人マリスの楽曲を徹底的に研究し、彼ならきっとこんな曲を作るだろうと失敗を繰り返しながら作り上げた曲である。演奏は慰問団が引き受けてくれた。演出としてミクは刀を舞いながら歌った。聖剣と同じく歌に反応する刀は、ミクの慈愛の歌に反応して聞く者の心に暖かい光の花の種を蒔き、多くの人の心を癒すこととなった。

 魔術師がくぽは後悔していた。この北の小国で己が犯した過ちを償うことは、彼にはできなかった。
 ミクは彼の心をなぞって   歌を歌う。
 そして、白い花の種を蒔いた。いつか可憐な白い花が見る人の心を癒すときが来るだろう。
 魔術師がくぽの名はどこにも遺らない。
 だが彼の心は聖女とともに永遠に遺るだろう。
 あの戦いの中でがくぽとミクの放つ刃の輝きが共鳴したのは   きっと同じ想いを抱えていたからだ。
 ルカへの想いと、レンへの想い。
 為す術もなく失われていく愛しい人を見守りながら   刃を向けなければならない辛さ。
 だとしたら、ルカとがくぽを解放し   結果的にミクを救ったのはレンなのではないか。
 レンはもうどこにもいない。
 レンの存在を証明するものは何もない。
 ならば   ルカとがくぽの想いが結実した白い花で満たされたとき   それはミクにとってレンが確かにそこにいたことの証になる。
 がくぽの先にレンがいるのか、レンの先にがくぽがいるのか。ミクにとってはどちらでも良かった。
 自己満足だと言われても構わない。
 少なくとも、自分のような   がくぽのような、ルカのような親のない子供たちの力になれるはずだ。

 やがてミクの歌声と志に惹かれ、多くの人が孤児院設立のために寄付をした。彼女の歌が蒔いた種が人々の心で光の花を咲かせ   それぞれの心にまた種を蒔き、少しずつその花を増やしていったのである。自覚もなく、ただ愛する人と守りたかった人のために歌ったミクの歌声は、多くの人の心を動かし   やがては世界さえも動かすこととなる。

 ミクの北の小国に舞い降りた聖女としての伝説は、ここから始まる   
You are the irreplaceable flower……
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