全部だきしめて

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1.

 灼熱の太陽が昼下がりのグランドを照らしつけていた。
 五限目の体育の授業はなかなかに酷なものである。それが真夏なら尚更だった。
 この日、男子はバスケットボール、女子はテニスだった。商業高校で男子生徒が少ないため、授業は2クラス合同で行われる。男子が授業で野球をやることは決してないだろう。

 キーンコーン……
「終了!」
 鐘の音と共に聞こえる教師の告げた声が、ドリブルをしていた男子生徒−長瀬一の足を止めた。
「暑ィ……」
 額から頬から流れる滝のような汗を乱暴に拭って、ふとキャピった声のする方を見た。女子生徒の方は少し早く終わっていたらしく、すでに更衣室に向かっている。校門のすぐ前にある自販機で何人かの生徒たちが物色していた。
(はあ……女子の連中、ジュース買ってやがる……)
 後で教員にしぼられるのが解っているのに何故やるかなと思いつつも、かなりうらやましいのもまた事実。この真夏の、しかも真昼間にグランドを駆けずり回って、口のなかがベタベタして、喉もカラカラに渇いていたのだ。
 誰か買ってきてくれないかなー……なんて現実逃避はやめにして、さっさとボールを片付けることにする。
「長瀬君」
 更衣に向かう彼を呼び止めたのは、すでに更衣を終えていた女子生徒だった。腰まである長い髪をひとつに結わえている。縁なしのメガネが優等生っぽさをかもしだしている。
「これあげる」
 彼女が無造作に差し出したそれを確認する前に、慌てて受け取った。その感触がひやりと心地いい。
「え?」
 見れば、受け取ったのは校門前の自販機に入っているレモンティーだった。
 これ、あげるって……なんで?
 問いかけようとしたときには、すでに彼女の背中は遠かった。まじまじと缶紅茶を眺める彼の耳に、教員が自販機前にたむろっていた女生徒たちを叱り飛ばす声が聞こえてきた。

 午後の……特に体育後の6限目の授業は、ハッキリ言って眠い。しかも席が窓際で、そよそよと涼しい風が吹いてくる、こんなシチュエーションでうとうとするなというのは、例え長瀬でなくても無理なのではなかろうか。
「次のところを……松木さん」
 さっき缶ジュースを差し出した彼女−松木ひなたが指され、立ち上がって教科書を読み始めた。その後姿をぼんやりと眺めながら、長瀬はうとうととまどろんでいた。
(なんだろう、急に……)
 受け取ったまま、まだ未開封の缶を片手でもて遊びながら、その理由を考えていた。もちろん解るわけもなかったのだが、ふと自分が松木のことをほとんど知らないことに気づいた。
 春のクラス替えで同じクラスになったものの、会話どころか挨拶さえほとんどしていなかったことに気づく。それどころか、彼女が話しているところをそもそもほとんど見たことがないような気がする。
 そんな松木が、何故急に・・・?
 他の女子たちが髪を染めたり口紅やピアスをしているのに、彼女はそんなことには全く興味なさ気で、優等生で無口で何を考えてるかさっぱり解らない。彼の知りうる松木ひなたとは、そんな感じだった。
 そしてふと、重要なことに気づいた。
 まだお礼言ってない……!!
「長瀬!!」
「!!!」
 さっきから何度も呼んでいたであろう、強い教員の呼び声に、長瀬は悲鳴こそ飲み込んだものの、動揺して手にしていた缶ジュースを床に転がしてしまった。
 静まりかえった教室に、缶が転がる音が響き渡る。
「……空き缶はゴミ箱に捨てるように! 以上!! それと長瀬」
 やや青ざめた長瀬が顔を上げるのと同時に、教師はこう言い足した。
「ゴミは分別するようにな」
 終業を告げる鐘が鳴った。

「あのレモンティー? ああ……あれね、間違えたの」
 掃除当番に体育館へ向かう松木を引き止めてお礼を述べたところ、返ってきたのが上記の言葉であった。
「はい?」
「んと……ミルクティーを買おうとしてたんだけど、慌ててたらボタン押し間違えちゃって。レモンティー飲む気分じゃなかったし」
 班の責任者が持っている掃除当番表を片手でぱたぱた仰ぎながら、松木はそう返答した。
「だから気にすることないよ」
 そう言って、松木はさっさと掃除に向かってしまった。腰まで届く髪が揺れるのを眺めていると、
「空き缶はゴミ箱にね」
 声が飛んできた。
 言われて長瀬は一応納得したものの、どうも腑に落ちない様子でしばらく彼女の背中を見守っていた。
(そうだよなァ…… 何期待してたんだろ、俺……)
 ただ、あの缶はカラではなかったのだけれど……。
「そんなこともあるか……」
 なんとか納得した様子で、長瀬は彼女と正反対の玄関の方に向かった。帰宅部の彼が学校に残っている理由はない。
 どんっ
「うっ……?」
「ご、ごめんなさいっ」
 長瀬の胸にぶつかってきたのは、ちょうど教室から飛び出してきた森だった。確か松木と同じ班(この班は50音順で決められている)で、化粧もピアスもバッチリな、松木とは正反対のタイプだった。
「いや……大丈夫だから……」
「本当にごめんね、本当に本当にゴメン」
 何度も謝りながら、森が玄関の方に走っていった。……同じ班ということは、松木と一緒に掃除当番なんじゃあ……?
 ふと思った長瀬に背を向ける形の森の唇から、少しだけ血がにじんでいた。
 唇を噛んだあと、だった。

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