罪人たちの舟
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4.
それは12年ほど前のこと。
少年と少女が同じ施設にやってきた。
少年は物心つくかどうかというときに、親から酷い虐待を受け第三者に保護された。
少女は物心ついてから、家族で出かけた旅先でひとり置き去りにされた。両親は行方をくらまし今どこでどうしているのかさえ分からず、少女本人はあまりのショックに混乱し、親の顔も本当の家がどこであるかさえ思い出せなくなってしまった。
どちらも、親の愛情を知らず、その顔さえも思い出せずにたった一人でその施設に入所した。
入所した時期が同じだったことと同い年であったこと、両親の愛を得られなかった者同士でしか分かち合えない悲しみとが、ふたりを強く結びつけた。
いつも何をするにも一緒、どこへ行くのも一緒、喜び怒り悲しみ楽しみ、それらの感情のすべてを共有して成長したふたりが、歳を重ねて愛し合うようになるのは至極当然のことだったかもしれない。
同じ小学校、同じ中学、同じ高校……。
ふたり同じ公立高校に受かって、世間の子供たちと同じように生活を楽しめるようになったかという矢先だった。
高校1年の冬。
少女が少年の子を身ごもっていることが学校側に発覚した。
当然周囲はふたりを責め、引き裂き、子供を中絶するように言った。
だが 。
ふたりにとって家族は究極の夢だった。
両親と子供と、温かい家庭、穏やかな愛。
当たり前に誰もが持っているそれらを、彼らは持ってはいなかったから。
だから、その希望の子供を殺せと言われて、それに従えるわけがなかった。
周囲の監視の目をかいくぐって、ふたりは落ち合い逃亡した。
とても寒い、身も凍るような冬空の下、着の身着のままひたすら逃げた。
激しい体力の消耗、精神的負担、飢えと孤独と寒さと不安と、それらがふたりを押しつぶそうとしていた。
それでもふたりは闘ったが、ついに幕切れとなる。
極度の疲労と心労で、少女が流産してしまったのだ。
希望の光は、終えてしまった。
絶望したふたりは、手首を切って心中した。
死して後もふたり結ばれるように、固く手をつないだまま……
それが、真雪が光に導こうとしたふたつの魂。
【門】で魂を捕縛したために、ふたりの肉体はまだ意識不明のままになっている。明日にでも冥界に送られれば、肉体は死を迎えるであろう。
軍の事務所を後にして、グレンはやりきれない気持ちのまま、あてどなく歩いていた。満天の星空に目もくれず、懐から煙草の箱をとりだして、器用に煙草を1本くわえた。
『あの子が私を呼んだの』
生まれてさえいない純粋な魂だからこそ、天界と他界がつながる一瞬に侵入することが可能だったのであろう。本来なら光の国へ迷うことなく導かれるであろうに、わざわざ【門】で両親を探し、助けようとした魂は、その一瞬に強烈な力で訴えたはずだ、「両親を救ってくれ」と。
その純粋なる魂こそが心中したふたりの生まれるべきだった子供であり、真雪が【門】で祈った魂……。
魂の叫びに応えたのが、真雪。
何故彼女でなければならなかったのか。
「クソッ」
グレンは煙草の箱を握り締め、手を微かに震わせながら呟いた。
「はは……っ 孤児で幼馴染だって……?」
あなたが私を責めるの?
引き裂かれたふたり。結ばれることを許されないふたり。
”せめて光の国で倖せに……”
その後で真雪は心の中で呟いたのだろうか、
”せめて私達のかわりに”、と……。
少女の名は「深雪(みゆき)」、少年の名は「紅司(コウシ)」。
似てたの。
彼女のたった一言に、いったいどれほどの想いがこめられていたのか。
「真雪……」
見上げた星空から流星の雨が降り注いでいた。
「これより処刑を行う!」
それはいつもの処刑宣告。サイレンが鳴り響きいつもどおりさつきに就業を要求してくる。
だが……これは 。
軍の制服に身を包み、筆記具を持って『聖戦跡地』前に記録係として立つさつきの前にひきずりだされた罪人は、大切な幼馴染だった。
「真雪!?」
淡い色の髪はまっすぐに梳かされ、彼女を包む真っ白な細身のドレスによく映えている。その拘束された両手を見なければ、花嫁と言っても通用するかもしれない。その姿はこの不毛の地には不釣合いだった。
「背信罪につき、『奈落の刑』!!」
罪名が高らかに読み上げられるのを聞きながら、グレンは人だかりの少ないところで、そっと有刺鉄線に触れた。
バチッ!
強力な静電気のようなものがグレンの手を弾いた。わずかに触れることも許さない強力な結界がそこにある。乗り越えようものならどんなことになるか。
痺れる手を押さえながら、しかめつらでグレンは辺りを窺った。
好奇の眼差しを処刑に向ける人々の中で、ひとりだけが口を押さえて必死に嗚咽と涙をこらえている。
(さつき……)
「真雪が背信なんてするわけ、ない……」
神に背き逃げようとした二重の背信行為よ。
当然の報いだわ。
(私は昨日なんて真雪に言ったんだか……)
真雪がどれだけ神を愛し、敬い尊んでいるか、それはさつき自身がよく知っている。背信などするはずがない。
けれどどんなに彼女を弁明したところで、今更助けられようはずもない。もう止めることはできない……!
震える手で任務を全うしようとするさつきをしばらく見守って、グレンは視線を真雪に戻した。
「言い残したいことはあるか」
ひざまづき祈りをささげる真雪に、武装天使が静かに告げる。
ずっとうつむいていた顔をあげ、閉じていた瞳を開いて囁いた。
「すべてのひとに神の光がありますように」
武装天使の片腕が、華奢な真雪の背中を突き刺した。
”神はすべての生命を愛しているのよ”
……信じたかった。
武装天使の腕が真雪の右翼をひきずりだし、
”絶対に独りにならない”
……せめて倖せにしてあげたかった。
そのまま、ひきちぎった。
あのふたりの魂を守ることが罪というなら、裁きを受けよう。
祈りを捧げたまま、真雪は声のひとつさえ、あげない。
背信というなら、奈落へ堕ちよう。
「真雪 !!」
耐え切れず有刺鉄線をつかんだグレンを、凄まじい稲妻が撃った。
悲鳴をあげながらも何とか持ちこたえたグレンは、己の非力さに唇をかむ。
(あと……あと少し力があれば……!)
「次は左翼だ」
武装天使が血に塗れた己の手を舐めながら宣告する。
真雪は逃げも隠れもしない。ただ受け入れるだけ。
でも。
せめて、最期にひとめ……。
武装天使が彼女の背を再び突こうとする、まさにその瞬間。
風の吐息にも似た小さな声で、真雪がそっと呟いた。
「……グレン……」
その呼び声のみが呪縛から解き放つ !
轟!!
凄まじい熱の塊がいくつも武装天使を撃った。その圧倒的な力に、なす術もなく吹き飛ばされる。
一瞬自分の背後で何が起きたのか分からず真雪が振り返ったとき、身体が重力から解き放たれた。
「グレン!? え……っ!? 何、その翼……!!」
「貴様……!!」
驚きを隠せないさつきと、不意を突かれた武装天使が見たものは、真雪が間近く見るその顔と同じ……
逢いたかった。逢いたかった。逢いたかった……!
「グレン……」
真雪のうれしそうな笑顔にひとつぶの涙が光る。
背中から血を流す真雪を抱きかかえたグレンの翼が、燃えていた。
血のように赤く、羽のひとつひとつが灼熱色に燃え上がり、敵為す者をすべて飲み込み、しかし大切な者を守り抜く紅蓮の炎。
それこそが、彼が捨てられた理由。忌まわしい翼持つ天使 。
「ミカエル様?」
「【門】を開け」
「よろしいので・・・?」
「かまわん、それと『裁きの神剣』を持って来い」
炎の翼を広げたままのグレンの足元の空間が不吉に歪んだ。
本来あるべきではないところに無理矢理【門】を開き、そこから『奈落』を直結させたのだ。これまでに『奈落』に落とされた無数の魂たちの叫びと嘆きがふたりをひきずりこもうとする。
「これが奈落……!」
初めて目の当たりにした奈落の入り口にグレンは全身を粟立たせた。そしてひきずりこまれないように何とか持ちこたえるのに必死だった。
「グレン……私のことはもういいから……」
おびただしい流血に血の気の失せた顔で真雪が訴えた。
ひとりで逃げて、と。
だがそれを言葉に乗せる前に、グレンの唇で封じられる。
彼からの初めてのくちづけに、周囲の状況も何もかも忘れて、真雪は惚けてしまった。
「ずっと一緒なんだろ?」
グレンの優しい笑顔に、真雪はこぼれそうになる涙をこらえて微笑んだ。
「うん……!」
そっと、くちづけた。
その一瞬こそが、永遠。
「神の御名において裁きを !」
どこからともなく、声が響いた。
間髪いれず、轟雷がふたりを襲った。
稲妻がグレンの左翼をもぎとった。
ずっと 一緒よ。
そう誓い合ったふたりが互いに向けて伸ばした腕は、
結ばれることなく、
そのまま【門】は 閉じた。
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